| 東京都防衛協会 創立40周年記念行事 (平成19年1月19日) |
| 協会の発展に寄与した65人を表彰 |
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東京都防衛協会(山口信夫会長)は、31区市町村の防衛協会から会員約150名が参加して、1月19日、グランドヒル市ヶ谷(新宿区)で創立40周年を盛大に祝った。
冒頭、会長から都防衛協会の発展に寄与した65名に対し、表彰状が授与された。
山口会長が都防衛協会発足当時の自衛隊を取り巻く社会状況を振り返った後、「自衛隊は日本のため、また世界の平和のために益々精強になって頂きたい。自分の国は自分で守る、日本の幸せは防衛にあることを認識し、当協会が推進役となって全国の防衛協会の見本となるよう一層の努力をお願いする」と挨拶した。
その後、初代イラク復興業務支援隊長であった佐藤正久氏が「イラクに赴いて思う」の演題で、約1時間講演、聴講者に深い感銘を与えた。
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| 東京都防衛協会創立40周年特集(防衛協会会報97号19.1.19)(投稿順) |
| 「40周年」を迎えて 東京都防衛協会理事長大北太一郎 |
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東京都防衛協会は、昭和41年に東京都自衛隊協力会連合会として発足しましたが、歴代会長のご指導と、都内各協会の目覚しい活動、ご支援ご協力に支えられ、今年40周年迎えることができました。往時の苦労を振返りながら、歴史を引き継いでいく責任を感じます。
私達が声援を送り続ける自衛隊は、イラクなど遠く海外にまで救援の手を差しのべ困難な任務を見事に果たしておりますし、腹立たしいことですが北朝鮮のお陰もあって、多くの国民が自衛隊や国の防衛に強い関心を持つようになりました。
念願の防衛省が発足し、改正教育基本法には新たな愛国心も盛り込まれました。世の中は大きく変化しています。
いま「国家の品格」(藤原正彦著)という本が、ベストセラーになっています。武士道精神や祖国愛、惻隠の情(人を思いやり同情する心)といった言葉がぽんぽん飛び出し、どれも新鮮だから不思議です。本来の日本人に戻ろうという、藤原氏の呼びかけが共感を得たのは、きっと、多くの国民がどこかに置き忘れてきた日本人の心を探し求めているからだと思います。
お互いに智恵を出し合いながら、良識の声をさらに大きく発し、次の10年に向かってチャレンジしたいと思います。各協会のご活躍とご発展を祈ります。
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| 練馬区防衛協会 殉職自衛官を法要 新潟県龍谷寺 高田駐屯地で部隊研修 |
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練馬区防衛協会は、本年発足45周年を迎えた。
意義ある防衛協会を作ったのだから、良いことをやろうという話が持ち上がり、「殉職自衛官諸精霊」のお位牌を龍谷寺に持ち込むことになった。
発足当時、区内の林さんの菩提寺である龍谷寺に佛縁ができ、先代住職駒形大僧正に一同私淑したのが話の発端。江戸時代には十万石の処遇を持った禅曹洞宗の大寺で、本堂自体も250年の履歴を持つ、現存の木造寺院を有する由緒ある寺。当時出来たての「観音堂」に鎮座された丈余の観音様の「ご胎内」に、殉職者の名簿を納めて、皆で観音経をあげるのが夢であった。お寺出身の初代須田操会長(当時練馬区長)は理解が深く、「皆で毎年法要を行おう」ということになった。
その後、紆余曲折があって断続しながらも40年近くが経った。
昨年11月7・8日、恒例行事になっている部隊研修会が開かれ、会長をはじめ、31人が参加。初日は高田駐屯地を研修、翌日は長岡市飯塚にある「寶徳山稲荷尊祟大社」(田中角栄元総理で有名)にのぼって会員諸君の心願成就を祈願した後、新潟県南魚沼市大和町の「八海山龍谷寺」にバスを走らせ、研修最大の目的である慰霊の法要を行った。この2日間、全行程7百余キロの大行軍だったが、参加会員諸氏は至福のときを持ったに違いない。合掌。
(全国・東京都常任理事 飯田博三郎記)
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| あきるの市五日市防衛協会 自衛隊を真摯に支援 |
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あきるの市五日市防衛協会は、昭和45年6月岸義一町長の要請で消防団OBを主体に設立準備を開始。 翌年1月、発起人会を開催して経過報告の後、設立趣意書、規約、会員募集、発会式等を協議。全町内に設立趣意書、規約及び入会申込書を配布、500名を目標に会員募集を開始したところ、755名の応募があり発起人一同安堵した。
同3月6日、五日市町民会館において発会式。当日は陸自音楽隊のパレードを五日市駅から会場まで行い、会場では演奏会で華を添えてもらった。
華やかな発会式から35年の月日が経過。思い出深い事業は、昭和46年9月2日、台風23号による行方不明者の捜索。都防衛協会を通じ第1普通科連隊(練馬駐屯地)に要請、翌日隊員100名、ヘリ1機が捜索に当たってくれたお陰で遺体を発見。
また、平成2年、5年、8年、10年の4回、五日市方面災害支援部隊であった1普連の奥多摩山岳訓練に協力して宿泊を斡旋。町3役、議会議長、消防団長の出席を得て隊員慰労の懇親会を盛大に主催。これが縁で、1普連の各種行事には招待を受け、都合のつく限り今でも参加しています。
その他、昭和50年10月、陸自施設部隊が秋川河川敷内の町民グランドを整備、現在も青少年の憩いの場として活用している。
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| 町田市相原地区防衛協会 派遣隊員へ激励の寄せ書き |
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町田市相原地区防衛協会は平成元年、町田市自衛隊父兄会から分離、相原地区に町田市堺地区防衛協会の名称で発足、平成4年に現協会名に改称。
本会の趣旨は、平和で豊かな生活が続けられる礎を固める自衛隊を励まし、行事に協力すると共に、「自分の国は自分で守る」といった国民の気概を高めることが目的。
活動は、自衛官募集協力、自衛隊行事への参加、部隊・演習等の見学、東京都防衛協会及び東京地方協力本部行事への参加、防衛関係資料の配布等。
募集協力の一環として、独自に製作した防衛協会専用の掲示板を地域12箇所に設置している。
会員数は135名で、地元市議にも加入して頂くなどにより増勢の傾向。今後は、女性層や他地域への会員募集の拡大を図り、自衛隊に対する惜しまぬ支援をして行きたい。
相原町民30年来の夢であったスポーツ公園が完成した平成17年4月、「フェスタ相原100」が同公園で行われ、当協会は自衛隊教室を開催、イラク派遣隊員への激励色紙の寄書きなどを行なった。
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| 寄せ書きする来室者 |
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| 国立市防衛協会 設立の趣旨、達成へ 国の安保政策勉強など |
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国立市防衛協会は昭和50年に発足、一昨年30周年を記念して盛大に祝い、最近の我が国を取り巻く安全保障を勉強した。
防衛協会の会員は、いま何をなすべきかを議論し、協会が有意義であることに異論はなく、会の目的は達成されていると認識している。
事業の一環として、自衛隊のPR,隊員募集の看板は市内に万遍なく設置しており、他に類を見ないものです。また、隊員の心の癒しになることを願って、有名画家の大作「富士」を東京地連(当時)の本庁舎落成記念に寄贈。
近隣の駐屯地・基地の行事に参加することは勿論、会員と自衛隊員との交流激励会も、回を重ねることによって防衛意識を高揚し、隊員との信頼・親密感を高めている。
自衛隊は国民を理解し、国民は自衛隊を理解して、吾が隣人の如くにして、それぞれの職責を全うできる環境整備に力を尽くすことが、防衛協会の仕事(責務)だと考え、努力を続けていくつもりである。
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| 西東京市防衛協会 市民祭に初参加 積極的に行事支援 |
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西東京防衛協会は、平成13年の田無市と保谷市が合併して「保谷市防衛協会」から発展したもの。
昭和56年の夏、保谷市隊友会の支部長であった山田忠雄氏(前会長)を中心に、内藤前市長、父兄会の大久保氏の呼びかけで13名が集まり、防衛協会の設立を話しあった。同年11月、ミタマ会館において150名の出席者を得て「保谷市防衛協会」が発足した。
保谷・田無には、かって中島飛行機工場があり、大東亜戦争中は格好の爆撃目標になっていたこともあり、入会の勧誘に行くと、そっぽを向かれたりして、世話人の苦労は並大抵でなかった。20周年記念大会は「コール田無」で実施、アサヒビール役員の中条高徳氏の記念講演や、ラッパ隊の演奏で盛会となった。この年の陸上自衛隊富士総合火力演習の見学会には、56名が参加した。
また、日露開戦100周年記念行事の一環として、海自横須賀基地や記念艦「三笠」の見学会を実施した。
昨年、初めて「市民祭」に参加、防衛パネル展示、自衛隊グッズの販売を実施し、来場者らに好評を得た。
市民の防衛意識の普及高揚並びに自衛隊に対する支援と会員相互の親睦に重点を置いて、地域の発展に寄与して行く所存である。
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| 奥多摩町防衛協会 会報を全戸に配布 住民の意識向上へ |
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奥多摩町防衛協会は昨年4月、創立10周年記念大会を開催。
防衛・防災への関心が高まる中で、当協会への理解も深まり、安全安心の町づくりに活躍する会の姿勢は、多くの町民の共感を得て、発足10年で町民の25%、500名余が参加する団体となった。
会報を年2回発行し全戸に配布。急峻広大な山岳地形のこの町では、何時どこで起こるかもしれない災害発生に、「備えあれば憂いなし」の観点から、住民の皆さんがともに防災意識を高め、災害に備えて頂くため、防衛協会が第二消防団的に、「ふれあいまつり」等の各種行事に積極的に参加して住民意識の向上に努めている。
国民保護法に基づく住民保護計画の実践団体として、町内唯一の組織であり、救急活動に貢献した功績で消防署長より感謝状を授与された。
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| 感謝状と救急訓練 |
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| 立川市防衛協会 交流で一体感を形成 交流深く |
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立川市防衛協会は平成12年に創立、20周年を迎えた。
栄町の旧軍跡地には昭和29年から第101測量大隊が展開、同49年からは東立川駐屯地として航空関連を含む密度の濃い部隊が存在している。
かつて立川市にあった米空軍立川基地は、米軍の横田基地集約化に伴い、昭和52年11月末、日本に返還され、跡地は東部方面航空隊の立川駐屯地を含む南関東防災基地、昭和記念公園、公官庁用地に変貌した。
昭和56年4月29日、自衛隊の活動に好意を寄せ、かつ外部から支援して行こうという、純粋に民間人の団体との認識のもと、立川防衛協会、自衛隊後援会、青年自衛隊協力会及び自衛隊協力会の4つの市民団体が統合、多くの市民の要望により、故高嶋幸一氏を初代会長に現在の立川市防衛協会が発足したものである。
創立20周年の記念誌によると、旧軍経験のある副会長は、会員として初めて正門をくぐる時に衛兵(警衛隊員)の敬礼を受け、瞬間的に右手で答礼したこと、別の役員は、2つの駐屯地内を交互に借用して定例理事会を開催し、多くの広報班員と交流があったことなど、楽しく思い出された記事が満載されている。
寄稿者は、ヘリ体験搭乗や観桜会、夏祭り、音楽祭、餅つき大会など、部隊の諸行事への参加によって、自衛隊への理解と親近感を深め、同時に隊員との交流による自衛隊と市民の一体感の形成を高く評価している。
このように会員は、なお、多くの災害派遣に対する敬意と、そうした自衛隊を支援したい気持ちを綴っている点が特筆される。
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| 日の出町防衛協会 自分の町は自分で守る |
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日の出町防衛協会は、平成16年10月設立以来3年目を迎え、現在、会員は340名。一昨年10月には女性部も誕生し、消防団と並ぶ大きな団体となった。
日の出町の人口は現在、1万6千人、70%の山林を抱えて、町営の「つるつる温泉」、広域ごみ処分場、工業団地を持ち、イオン・ショッピングセンターも建設中で、自然と都市が整合された美しい町、3万人の自立都市を目指して町づくりが進められている。
この様な環境の中で、防衛協会の重要性も認識され、防災・防衛問題で今回開催された「日の出町の国民保護協議会」防衛会議には当防衛協会代表と共に、自衛隊からも代表者が出席。
防衛協会としては、これからも防災防衛意識の高揚と、会員相互の親睦を図るために積極的に自衛隊行事に参加し、町と共に連携の場を作って行かなくてはならないと思っている。
災害と有事は、何時どこで起こるかも知れない。「自分の町は自分で守る」ためにも、会員共々地力の輪を拡げ、安全安心の町づくりに一層の努力をしていかなくてはならない。
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| 板橋区防衛協会 協会5原則で発足 現在会員は500余名 |
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板橋区防衛協会は、平成6年4月結成された第1普通科連隊板橋区協力会から、5周年目を迎えた同年の板橋区防衛協会設立準備委員会を経て、翌年4月、板橋区立産文ホールで総会及び発会式を盛大に挙行、500名の会員を以って発足した。
当協会は、国防の啓蒙と自衛隊への理解・協力をはじめ、自衛隊の板橋区における災害活動協力、更には専守防衛に徹した会員相互の団結を図ることを目的とし、@独立日本の平和と安泰、A侵略を伴わない武力充実の理解、B国防の啓蒙と自衛隊への理解協力、C専守防衛に徹した会員相互の団結、D板橋区における自衛隊の防災活動協力、を5原則として自衛隊の各種行事へ参加している。
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| 武蔵野市防衛協会 隊員募集看板100ヶ所設立へ |
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武蔵野市防衛協会は、平成14年10月、約200名で創立、現在230余名。
例年の事業は、総会、講演会、自衛隊行事へ参加の他、隊員募集の看板設置(現在市内百箇所)に努力している。設立5年目だが、講演会や自衛隊行事への参加など、実り多い活動、昨年の総会では女性部の設立を決定、青年部設立へ努めている。
日本は、かっての大戦終戦後60余年を平和に過ごしてきた。米ソの冷戦は終わったものの、周辺国との間で抱えている諸問題に対応するためには、外交、防衛、経済を土台に、全ての問題対策整備のため、憲法を見直し、日本の将来に後顧の憂いなきよう取り組むべきであり、今やその時が来たのではないだろうか。
当協会は、こうしたことを心に秘めて、日本を守る自衛隊に対して、全力を尽くして、協力していきたい。
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| 青梅市防衛協会 女性の関心高い 意識高揚で大所帯 |
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青梅市防衛協会は、松籟会を発展的に解消して自衛隊を応援する組織に移行した。日清・日露戦争の戦死者名を刻んだ巨大な忠魂碑が青梅駅の背後にある永山公園に建っており、山の松林を吹き抜ける風に因んで名づけられた「松籟会」が毎年、遺族を招き慰霊祭を開いてきた。
女性層に呼びかけて会の組織を拡大しようと企図したことが成功し、予想以上の入会で3000名を越す大世帯となった。立川駐屯地で、毎年秋に行われる防災航空祭や東立川駐屯地の夏祭りには多数の会員が参加し、年に一度は宿泊研修会として全国各地の部隊を訪問、会員相互の親睦を図りながら防衛意識の高揚に努めている。
戦後既に60年、会員の高齢化も進み、鬼界に入る人も増え、補充もままならない今日だが、協会の活動が一握りの役員だけのものでなく、広く会員の意識を高めるためにも諸行事への参加を呼びかけ、また新会員の勧誘に努めていくことが急務と考えている。(事務局長・島崎俊夫記)
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| 東村山市防衛協会 頭痛める新会員の獲得 |
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東村山市防衛協会は、昭和52、3年頃、当時の陸自第1師団が、担当警備隊区全てに防衛協会の設立を企図。
小平業務隊補給科勤務で東村山在住のPTA・青少対会長の菊氏が、東村山市隊区担当の1普連長に、市長及び市民に信望の厚い林久敬(梅岩寺住職)氏を紹介。
隊友会に協力を打診したところ断られ、自民党からも協力の色よい返事なく、菊氏個人の人脈で100人足らずを目標に設立準備を始めた。その後、自民党から協力する旨の連絡があり、市議団が直接設立に係われないところから、同党後援会の約50人ほど発起人推薦があった。1普連広報幹部や小平業務隊長の応援・協力下、会合を重ね、旧軍歴を持つ人々を主体に412名の会員が集まり、小山宗一氏(元市助役)を会長に選任、練馬駐屯地食堂で設立総会を開催。
こうした苦労を重ねながら増勢に努め、現在618名。しかし、高齢者の逝去、加えるに自民党内の諸事情などの影響で半減、会を支える事務局員の高齢化もあって、思うに任せぬ会員獲得に頭を痛めているのが現状である。
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| 千代田・中央防衛協会 少ない人口で最大の効果を |
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千代田・中央防衛協会は、平成15年9月16日、居住人口極少地域の近隣同士が協力し合って、立ち上げた。板橋区防衛協会の前田会長のした、約3年通って指導を受け、趣意書を起こし、準備委員会を設けて発足、既に3年が経過した。
平成19年は板橋区防衛協会との交流を図り、先輩協会のご指導を受けながら、「点滴穿石」の諺の如く、根を張り強く進めて行きたいと思っている。
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