私は、独立行政法人北方領土問題対策協会が8月25日〜29日の間実施した北方四島訪問に参加した。以下は、その所感である。
我国固有の領土である北方四島海域で起きた銃撃拿捕事件により、緊迫したなかで実施される交流は、如何なものかという思いもあった。しかし15年間地道に交流と相互理解に務めてきた経緯と足跡を考えると、今回の交流事業は大変重要であったと思う。
根室港を出航して、想像していた荒海とは違う穏やかな航海で、国後島に向かう途中の歯舞群島、色丹島を眺め、本当に近い事を実感した。ロシア警備船と海上保安庁の巡視船の行き交う海域で、銃撃拿捕事件で死亡した盛田さんの冥福を祈り、献花と黙祷を捧げ、正しく今回の緊張と不安の幕開けであった。想像していた以上に、島の港や道路は、未整備のままであった。
しかしロシアの人は大変人懐こく、私のイメージとは全く違っていた。国後島のコーワリ地区長も大変若々しく、親しみを感じさせた。銃撃拿捕事件の船員達についても人道的な対応を約束し、我々が根室に戻った翌日に2人の乗組員は解放された。しかし、尊い命を奪われた事実と、「我国固有領土である」と言われながら、北方四島を実効支配されている事実を国民一人一人が認識しなければならない。
国後島・択捉島に上陸して、実際に生活をしているロシア人の現実が日々刻々と歴史として刻まれていることを感じ、領土問題ということ自体が過去の歴史として片付けられてしまう様な不安を感じた。
今回は、昭和20年8月28日に択捉島に侵攻してきたロシア軍(当時はソ連)の状況を、必死の思いで知らせた三上郵便局長ご子息とご一緒でき、実際の体験談をお聞きし、”ふるさと留別”に59年ぶりに戻ることのできた場面に居合わせたことは、生涯に忘れることの出来ない体験です。10年前には、嵐で道が寸断され、ふるさとを目前に引き返し、今回念願の帰郷をされた姿を拝見し、何故もっと早く、何故もっと多く来ることができないのか、という思いが込上げてきました。私以上に多くの元島民の方々は、常に思い願っているに違いありません。
時代の流れの中で、諸先輩たちの体験や歴史を正確に伝えて行くのも、我々の責務であると思います。今回の北方四島交流事業で改めて感じた事は、北方領土問題は勿論、我国は四方海に囲まれた島国であるが故に、領域と国益そして歴史認識を国際社会のなかで明確にし、安心安全な国民生活が営まれるように、国家の最重要事項として早急に取り組んでほしいこと、また教育、特に日本の歴史、江戸後期から現在までの歴史認識を明確にする教育が重要であること等です。
私は昭和32年生まれで、高度経済成長のなかで育ってきました。戦争と原子力という言葉はタブーとして葬られ、過去を知ることより、今後の経済、社会にばかり目を向けて生きて来ました。商工会議所青年部活動を卒業後「国防なくして経済の発展無し」との思いから、7年前に防衛協会の青年部を設立し、今年から全国防衛協会青年部会長を仰せつかり、今回の事業に参加させて頂きました。
全国防衛協会は47都道府県にありますが、青年部は私が会長を引き受けた今年当初が26都府県でした。その後埼玉県、和歌山県が設立、年内には茨城県も設立の予定です。ビザ無し交流も15年という地道な努力があり、今回のような感動的経験をさせて頂いたと思います。私も微力ながら今後とも、様々な活動に地道に努力して行くとともに、北方領土問題の現実を多くの人に伝えて行く所存です。団員皆様に感謝々々。
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