
北方領土の国後、択捉をビザなし交流で7月6〜10日の間訪問した。「ロサ ルゴサ」という小さな旅客船の4階601号、幅80p、長さ190pの2段ベッドが8人分あるカーペットルームに11人が4泊した。船からは艀で上陸、島内行事を済ませると船に戻る毎日。
旅券が不要とは言え、外務省職員が持参した参加者の写真付き身分証明書で、ロシア側の担当者が一人ひとり点呼しながら艀に乗り移る度に確認。
一行は、学識経験者(海洋学・領海問題・鳥類・漂流物などの専門家)、国会議員、外務官僚、北方領土問題対策協会、防衛団体、マスコミ、元島民、学生、通訳、医師など65名。
島内では、墓地清掃(択捉)、漂流物調査(国後・択捉)、交流イベント(同)、対話集会(択捉)、ホームビジット(同)などが予定されていたが・・・。
二日目、艀スクリューに鉄線が巻き付くトラブルにより、「入域」手続(日本側はロシアへの入国では無い事からこのように呼ぶ)が4時間半遅れる。国後上陸後3グループに分かれ短縮された活動後、全員が島の体育館に集合し、ビザなし交流では初の、日露合同即席ファッションショーを開催。団員のファッションデザイイナー、スタイリスト、メークアップアーチストなどの発案で実現した。衣裳や靴など持参し、モデルは予め衣裳のサイズを伝えロシア側にお願いした。

その後商店視察をするが、道路は車が通れば白煙で見えなくなるような砂利道で、さながら西部劇の映画のセットにいるようで、看板も地味で扉を開けて商店と分かる程度だった。友好の家(通称ムネオ
ハウス)での夕食交流会後、船に戻り択捉へ向かう。
約10時間後の翌朝、択捉に着く。再び艀のトラブルで上陸が3時間遅れた。2日も同じようなトラブルが続くと、不信感を持つようになる。
上陸後、択捉島を管轄するクリル地区ラズミシキン行政長を表敬すると、「ロシア固有の領土であるクリルの島へようこそ」と挨拶し、私達日本側を驚かせ不快にした。北方4島を日本の固有の領土と明記した改正北方領土問題解決促進特別措置法(北特法)への反発をあらわにし、「法律を取り消さない限り、今後のビザなし訪問は受け入れられない」とも。
鈴木宗男衆議院議員が突然立ち上がり「法律は日本国内の地域振興が目的で、対象となる地域への財政支援などを可能にするもの」、「ビザなし交流は国と国の合意、地区の行政長が決めるべき事ではない」と反論。日本でいえば、政府、都道府県、市町村のような関係だろうから、国と国の約束を市町村が勝手に変えていいはずは無い。(さすが宗男先生!)
島のロシア人が全て反日とは感じなかった。墓地清掃後、13家庭に分かれてホームビジット。私が訪問した家庭の母親は、「ガーデニングの大会で北海道に行ったことがあり、是非孫娘も日本に訪問させたい」というように、大半が友好的だった。
北方での最終日は悪天候のため下船できず沖合で待機したが、天候回復が見込めないため残された行事全てを中止して国後島へ引き返す。出域手続き後、根室港へ。
今回のビザなし渡航中、サミットで麻生総理がメドベージェフ大統領と会談した。北方領土問題でロシア側から新たな提案が有るとの期待も有ったが、何もなかった。大統領は具体的提案が難しい理由として、「ロシア議会を中心に“北特法”に対し激しい反応が出ている」と指摘した。国内経済の低迷、各地でのデモ、失業者の急増などで内政に影響を受け、議会の強硬論に配慮したのではないか。
麻生総理もロシア側に「北方領土問題で進展を図る用意がないなら、アジアにおける日露のパートナー関係を構築するのは難しい」と反論した。
今後我が国も領土問題解決手法として、エネルギーなどの相互にメリットが有る分野は積極的にかかわるにせよ、経済協力だけが先行し、領土問題の本質が置き去りにされたり、1992年に始まった日本人とロシア人の相互訪問(四島交流)が無駄になるような事だけはあってはならない。
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