北方領土返還運動

  北方四島を訪ねて  (会報117号24.1.1)  全国防衛協会連合会  大越康弘常任理事

                                          
                   
                           択捉島の元日本郵便局舎と長谷川氏

 独立行政法人北方領土問題対策協会主催のいわゆる「ビザなし交流」事業に全国防衛協会連合会の一員として参加し、7月8日から3日間根室港から小さな船に乗って国後島と択捉島に行ってきた。夏の季節柄霧がかった島であったが、船から艀(はしけ)に乗り換えて上陸して感じたのは、道路はでこぼこで舗装されておらず、民家も古いままで、ロシアの極東の更に離れた取り残されている孤島のようであった。以前は住民の中にはこんな暮らしなら日本に返還された方がいいと言っていた人もいたと聞いたが、むべなるかなとも思えた。

 しかし、ここ数年ロシア政府はクリル発展計画により開発に力を入れ始め、島の当局からは、岸壁の拡張、飛行場の滑走路延長、幼稚園、病院の新設、水産工場への助成などが進められているとの説明があった。昨年
11月メドベージェフ大統領が來島し、また今年5月にはイワノフ副首相が訪問して、中央政府の関心の強さを見せつけている。
 訪問関係者によれば、ここ数年島も変わりつつあり、活気が出始めているとのことであった。開発が進めば、ロシア本土やサハリン島との船や航空機による定期便もできるとのことであり、既にロシア本土から夏休みを利用して数十名の大学生が水産工場に働きに来ていた。
 この状況をみれば、島の開発に日本が援助することによって、返還に結びつけようというのは意味をなさないと思われる。ある住民も「私の頭には領土問題は存在しない。日本人は一番の隣人だ」と語っていたとのことである。

択捉島の小さな博物館で、その昔島は北海道と繋がっており、アイヌ人が祖先であったことを知った時、両国間の条約がどうだこうだの経緯を抜きにして、この島は日本固有の領土であると体で感じられた。択捉島の単冠湾を崖上から眺め、またその婉曲した道路のない波打ち浜辺を10分間ほど車で走ったが、山本五十六の連合艦隊がハワイに出撃する前集結した日本の湾であったかと思うと感慨深かった。

 滞在中に島民と交流会を行った。択捉島の天寧飛行場の近くの村で、たまたま「漁師の日」という祭りの日でもあり60人ほどしかいない村民、主に子供たちが広場に集まっており、女村長と村幹部から手作りの料理とウオッカで歓迎を受けた。島民はおしなべて友好的で、日本からの援助で毎年多数日本訪問をしているとのこと、そのことも島民感情に与っているように思えた。

他方、行政府の長や議会議長と会談する機会もあったが、表面上は友好的だが、択捉島紗那に現存する唯一の日本建物であり、返還運動のシンボルでもある元郵便局舎、漁業組合建屋の保存を前から要請しているのにロシア内での予算制度でそれができないとのことで、あと数年で崩壊する現状にある。終戦後の8月28日ソ連軍が突如攻め込んだことをモールス信号で知らせたこの郵便局で、当時18歳で働いていた長谷川榮子さんも今回一緒であったが、非常に無念の思いの様子であった。

 今回参加の「ビザなし交流」は領土返還運動の一環として20年にわたり行われて来ているものだが、島民との友好関係では四島返還には繋がらないと実感させられた。本当に返還させようと思うなら、政府が両国の国益を分析し、冷徹に、粘り強く外交交渉をするしか道はない、と感じさせられた旅であった。

全国防衛協会連合会      返還要求全国大会       (会報114号23.2.7)

                           許し難い暴挙!

                   
                     強く抗議したいと菅直人総理

2月7日の「北方領土の日」に合わせて、九段会館(東京都千代田区)において、平成23年度北方領土返還要求全国大会が開かれた

 大会は全国防衛協会連合会、全国自衛隊父兄会、日本青年会議所など10個の北方領土返還要求運動連絡協議会幹事団体及び全国知事会や全国都道府県議会議長会などの地方六団体並びに隊友会や神社本庁、全国商工会連合会など52個の北方領土返還要求運動連絡協議会構成団体からなる北方領土返還要求全国大会実行委員会が主催するもので、30回を数える今年は1600人が参加する盛大なものとなった。

 出席した菅直人首相は、昨年11月ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問したことについて「許し難い暴挙で、直後の首脳会談でも強く抗議した」と延べた上で、「(日露)両国の諸合意、諸文書を基礎に北方4島の帰属問題を最終的に解決して平和条約を締結するという基本方針に従い、ロシアとの交渉を粘り強く進める」と強調した。

 同様に出席した前原外相は、早期返還に「政治生命をかけて努力したい」と表明した。

 引き続き谷垣禎一自由民主党党首を始め各政党からは党首クラスの代表の発言があり、早稲田大学学生のアピール、全国防衛協会連合会の大串康夫常任理事の特別決議の表明で締めくくった。

 菅首相の発言を受け、同日ロシア外務省は「有害な発言に強く抗議する。日本の領有権主張は容認できない」とする声明を発表した。 外相は直後の10日から訪露し日露外相会談がもたれたが、北方領土問題は進展しなかった。

全国防衛協会連合会      返還要求全国大会       (会報110号22.4.1)


                       取り戻そう!日本の領土
                          
                           国会議員も多数参加

                          北方領土の日

       
     右端:来賓として参加した首相(左端:当協会大北常任理事)               目立った高校生参加者

「北方領土の日」の2月7日、「返還要求全国大会」が九段会館で開催された。全国防衛協会連合会(山口信夫会長)は今回から「連絡協議会幹事団体」となり、企画段階から参画。前日は板橋区防衛協会(前田房治会長)が配布パンフレット等の準備を支援。当日は連合会事務局泉芳憲局長等が受付、舞台整理、記録を担当。

連合会代表で大北太一郎常任理事が壇上に上がり、全国青年部会の都丸和俊会長ほかの青年部会員並びに東京都防衛協会傘下の区市会長及び同会員等約50名が参加した。

大会に先立って、児玉泰子事務局長(註・3面に「この人に聞く」)が北方領土の今昔を紹介、参加者一同は感慨一入。

大会で実行委員長が「元島民は日本人として生きていくために止むを得ず引き上げた。政府は毅然たる態度で交渉して欲しい。それを支えるのは国民世論。粘り強く返還運動に取り組んでいく」と挨拶。

続いて元島民が総理の前で、「島へ帰りたい」と訴えた。

その後、総理が「祖父が56年前にソ連に行き、四島返還を主張したが、未だ実現していない。メドベージェフ大統領が言った独創的アプローチ゛はヤルタ、ポツダム宣言に拘らないと言うことだ。私も二島返還での平和条約はあり得ないと会談で力説した」と挨拶。

その後運動関係者、中でも杉並高校3年の朝倉聡君が「北方領土が見える地に行き、元島民から話を聞き身近に感じた。一歩踏み込んで考えていきたい」と、熱意の程を披瀝し注目された。

                                 竹島の日

      

「竹島の日」の2月22日、島根県主催の「記念式典 竹島・北方領土返還要求運動県民大会」が県民会館で開かれた。

 島根県防衛協会(杉谷雅祥会長)はじめ、連合会事務局からも泉局長、妹尾参事が参加した。

過去には国会議員の参加はごく少数でしかなかったが、今年は地元の衆参院議員をはじめ、10名の出席があった。ただし、民主党議員の出席はなかった。

全国防衛協会連合会  北方領土返還要求行進アピールに参加 (会報109号22.1.1)


                       北方領土を返せ!  銀座で街頭行進

全国防衛協会連合会は平成2112月1日、京橋プラザ(東京都中央区)を始点、日比谷公園を終点として約2qに亘って行われた「北方領土隣接地域振興対策根室管内市町連絡協議会」主催の「平成21年度北方領土返還要求行進アピール」に参加した。500人が行進、当協会からも多くが参加した。2月7日には九段会館で全国大会が行われる。

最後のビザなし渡航? 野々口弘基 (全国防衛協会連合会青年部会副会長) (会報108号21.10.10)

                             

 北方領土の国後、択捉をビザなし交流で7月6〜10日の間訪問した。「ロサ ルゴサ」という小さな旅客船の4階601号、幅80p、長さ190pの2段ベッドが8人分あるカーペットルームに11人が4泊した。船からは(はしけ)で上陸、島内行事を済ませると船に戻る毎日。 

 旅券が不要とは言え、外務省職員が持参した参加者の写真付き身分証明書で、ロシア側の担当者が一人ひとり点呼しながら艀に乗り移る度に確認。

一行は、学識経験者(海洋学・領海問題・鳥類・漂流物などの専門家)、国会議員、外務官僚、北方領土問題対策協会、防衛団体、マスコミ、元島民、学生、通訳、医師など65名。

島内では、墓地清掃(択捉)、漂流物調査(国後・択捉)、交流イベント(同)、対話集会(択捉)、ホームビジット(同)などが予定されていたが・・・。

二日目、艀スクリューに鉄線が巻き付くトラブルにより、「入域」手続(日本側はロシアへの入国では無い事からこのように呼ぶ)が4時間半遅れる。国後上陸後3グループに分かれ短縮された活動後、全員が島の体育館に集合し、ビザなし交流では初の、日露合同即席ファッションショーを開催。団員のファッションデザイイナー、スタイリスト、メークアップアーチストなどの発案で実現した。衣裳や靴など持参し、モデルは予め衣裳のサイズを伝えロシア側にお願いした。

                    


その後商店視察をするが、道路は車が通れば白煙で見えなくなるような砂利道で、さながら西部劇の映画のセットにいるようで、看板も地味で扉を開けて商店と分かる程度だった。友好の家(通称ムネオ ハウス)での夕食交流会後、船に戻り択捉へ向かう。

10時間後の翌朝、択捉に着く。再び艀のトラブルで上陸が3時間遅れた。2日も同じようなトラブルが続くと、不信感を持つようになる。

上陸後、択捉島を管轄するクリル地区ラズミシキン行政長を表敬すると、「ロシア固有の領土であるクリルの島へようこそ」と挨拶し、私達日本側を驚かせ不快にした。北方4島を日本の固有の領土と明記した改正北方領土問題解決促進特別措置法(北特法)への反発をあらわにし、「法律を取り消さない限り、今後のビザなし訪問は受け入れられない」とも。

鈴木宗男衆議院議員が突然立ち上がり「法律は日本国内の地域振興が目的で、対象となる地域への財政支援などを可能にするもの」、「ビザなし交流は国と国の合意、地区の行政長が決めるべき事ではない」と反論。日本でいえば、政府、都道府県、市町村のような関係だろうから、国と国の約束を市町村が勝手に変えていいはずは無い。(さすが宗男先生!)

島のロシア人が全て反日とは感じなかった。墓地清掃後、13家庭に分かれてホームビジット。私が訪問した家庭の母親は、「ガーデニングの大会で北海道に行ったことがあり、是非孫娘も日本に訪問させたい」というように、大半が友好的だった。

北方での最終日は悪天候のため下船できず沖合で待機したが、天候回復が見込めないため残された行事全てを中止して国後島へ引き返す。出域手続き後、根室港へ。

今回のビザなし渡航中、サミットで麻生総理がメドベージェフ大統領と会談した。北方領土問題でロシア側から新たな提案が有るとの期待も有ったが、何もなかった。大統領は具体的提案が難しい理由として、「ロシア議会を中心に“北特法”に対し激しい反応が出ている」と指摘した。国内経済の低迷、各地でのデモ、失業者の急増などで内政に影響を受け、議会の強硬論に配慮したのではないか。

 麻生総理もロシア側に「北方領土問題で進展を図る用意がないなら、アジアにおける日露のパートナー関係を構築するのは難しい」と反論した。

 今後我が国も領土問題解決手法として、エネルギーなどの相互にメリットが有る分野は積極的にかかわるにせよ、経済協力だけが先行し、領土問題の本質が置き去りにされたり、1992年に始まった日本人とロシア人の相互訪問(四島交流)が無駄になるような事だけはあってはならない。

連合会事務局   北邦領土ビザなし渡航    出張報告(21.7.30)  

        野々口青年部会副会長・妹尾連合会事務局参事が参加  
                            幹事団体の一員として

目的: (北方四島交流訪問事業実施要領から引用)
     本事業は、北方四島返還要求運動関係者等が北方四島を訪問し、各島々に在住するロシア人と交流を
    図り、相互理解を深めることにより、北方領土問題の解決促進に資することを目的とする。
実施者:独立行政法人北方領土問題対策協会
日時 平成21年7月5日(日)〜11日(土)
行動     5日(日) 移動(羽田空港〜釧路空港〜JR釧路駅〜JR根室駅〜千島会館)、事前打合せ等
        6日(月) 結団式・事前研修会、ロサルゴサ号乗船(根室港出港〜国後島古釜布湾着) (船内泊)
        7日(火) 国後島上陸、交流イベント「ファッションショー」・民族舞踏、夕食交流会     (船内泊)
        8日(水) 択捉島上陸、クリル地区行政長表敬、日本墓地清掃、ホームビジット      (船内泊)
        9日(木) 船内スタンバイ  国後島古釜布湾着                         (船内泊)
       10日(金) 根室港に向け出港、解団式 
所感等
 @ 今回のビザなし交流前後の日露両国をめぐる背景
  * 択捉島側からの訪問受入ない旨の事前通知あり
  * サミット・日露首脳会談における北方領土問題の具体的な進展なし
  * 歩峰領土問題等解決促進特別措置法の改正
 A 北方領土占有の既成事実化
  * 経済復調に伴うロシア政府の資金投入
 B 日本政府(国民)の初期対応の拙さ
  * 領土問題解決への国内の世論喚起・環境整備の推進
  * 国民世論を背景にした強力な外交交渉の継続
  * 北方領土の教訓を尖閣諸島・東シナ海・対馬等へ反映
 C 訪問団での有意義な議論
  * 東海大学海洋学部山田吉彦教授の話「海洋国家日本」
 D (北方)領土問題の現状・問題意識等を発信し、防衛意識の覚醒・啓発・啓蒙に努めたい。





      

       

  
連合会事務局    北方領土を取り戻そう    (会報第106号21.4.1)

返還運動盛り上げ
連合会も積極参加
表彰受ける


 全国防衛協会連合会は、2月7日、九段会館(東京都)で行われた「北方領土返還要求全国大会」に、大串常任理事、梅田青年部会副会長のほか、東京都防衛協会及び連合会事務局長等14名が参加した。

連合会は従来、構成団体の一員として参加してきたが、来年は幹事団体として大会運営に関係することが予定されている。

大会には元島民をはじめ、国民運動を展開する関係団体、並びに政府及び各政党代表が参加した。

 麻生首相はじめ、政府関係者や各政党代表の挨拶が紋切り型の建前論であった中で、旭川在住の新堀悠くん(9歳)が祖父母と「じいちゃんの故郷」を訪ねた時の感想文は参加者に大きな感動を与えていた。

また、青年会議所や学生研究会代表の啓蒙活動には今後の盛上りを予感させるものがあった。

なお、連合会は積極的な参加を評価されて大臣表彰を受賞した。

  
大臣表彰を受領する渡邊連合会常任理事        佐藤国務大臣と渡邊常任理事・泉事務局長・谷口事務局員

梅田副会長         返還要求運動に新戦略を     (会報104号20.10.1掲載)
 
        
 「北方四島交流訪問事業」(ビザなし訪問)で、6月30日から7月4日まで、国後島と択捉島を訪問した。訪問団(63名)は、元島民・親族、国会議員、外務省・内閣府・環境省職員、報道記者、通訳、医師、北方領土問題対策協会(独立行政法人)、及び北方領土返還要求運動連絡協議会(以下北連協)の団体からの参加者。主な関連団体は、連合、日本青年会議所、早大鵬志、自衛隊父兄会・隊友会など。私は、全国防衛協会連合会からの参加でした。

防衛協会は3年前から参加者枠を貰ってきた。参加したい思いが叶い、より一層国家意識が増し、とても貴重な経験となった。

国民は、北方領土のことについて、どれぐらい知っているだろうか。

私は、戦前、戦後の歴史経過はある程度知ってはいたものの、旧ソ連軍が侵攻してきた状況やその後の脱島体験や悲話、約2年間のロシア人との共生、その後の強制送還(樺太経由)や収容所生活の状況等々、元島民の方々の筆舌に尽くし難い体験の詳細までは知らなかった。

 今回、元島民の方々の思いや労苦、そして、長年、この運動に携わってこられた方々の思いや意見を聞き、また、様々な団体からの参加者と船内で討論を行い、日本の現状を憂える熱い思いに接したことで認識が大きく変わった。

日本には、解決しなければならない領土問題や外交問題が山積しています。このことは、戦後63年間、政府は、全力で早急に対処しなければならない問題だった筈ですし、全国民も理解し、協力すべきことで国家として最重要課題だと思う。しかし、現在の国民意識は、どこか違うように感じます。

特に私が感じたのは、他国からの観光客がロシアのビザで入国することとなれば、それこそ国際的にロシアの領土だと誇示することが出来、日本にとっては窮地に立たされることとなるのではないかと危惧します。

人口増と共に保育所不足で待機児もいるとのことで、現在の人口は、択捉島約6千人、色丹島約3千5百人、国後島約7千人であり、全島で約1万6千5百人であります。

定住者の増加と共に、当然、この島で生まれ、育った子供も増えています。今となっては、この子達にとって、北方四島は、故郷であり、「だから、日本へ返還出来ない。」と言っているロシア人の親もいるようです。

 ギドロストロイ社(択捉島)の水産加工工場倉庫には「クリルはロシアの領土」と掲げた看板がある。「違う!ここは日本だ!」と心の中で叫ぶ。

 また内岡(なおか)の港には、領海侵犯で拿捕され、没収された日本船4隻が港に置いてあった。ロシア政府から民間に委譲されたもので、写真を撮りながら怒りが込み上げてきた。こんな不合理なことがあってもいいのかと。

時間の経過と共に難しい、また、新たな問題も出てくる訳であり、じっくりと交渉してなどと言ってはいられない状況にあることを政府、国会議員は認識してほしいものです。

このような状況のもと、島を追い払われた元島民約1万8千人は、平成148,667人で、現在はもっと少ないことでしょう。もう時間はないのです。

どうしたら返還出来るのか、同行した同志と議論しました。皆考え方は様々ですが、思いは同じです。答えは出ませんでしたが、同胞として自分たちが出来ることをやりたいと皆が思ったはずです。

今や、北方領土返還要求運動の新たな戦略を練り直す転換期ではないのかと感じました。

            
             「クリルはロシアの領土」の看板                    拿捕された日本船

都丸会長   「なぜ戻らぬ? 日本の領土」 (第96号18.10.23)
                      なぜ戻らぬ? 日本の領土

 私は、独立行政法人北方領土問題対策協会が825日〜29日の間実施した北方四島訪問に参加した。以下は、その所感である。

 我国固有の領土である北方四島海域で起きた銃撃拿捕事件により、緊迫したなかで実施される交流は、如何なものかという思いもあった。しかし15年間地道に交流と相互理解に務めてきた経緯と足跡を考えると、今回の交流事業は大変重要であったと思う。

 根室港を出航して、想像していた荒海とは違う穏やかな航海で、国後島に向かう途中の歯舞群島、色丹島を眺め、本当に近い事を実感した。ロシア警備船と海上保安庁の巡視船の行き交う海域で、銃撃拿捕事件で死亡した盛田さんの冥福を祈り、献花と黙祷を捧げ、正しく今回の緊張と不安の幕開けであった。想像していた以上に、島の港や道路は、未整備のままであった。

 しかしロシアの人は大変人懐こく、私のイメージとは全く違っていた。国後島のコーワリ地区長も大変若々しく、親しみを感じさせた。銃撃拿捕事件の船員達についても人道的な対応を約束し、我々が根室に戻った翌日に2人の乗組員は解放された。しかし、尊い命を奪われた事実と、「我国固有領土である」と言われながら、北方四島を実効支配されている事実を国民一人一人が認識しなければならない。

 国後島・択捉島に上陸して、実際に生活をしているロシア人の現実が日々刻々と歴史として刻まれていることを感じ、領土問題ということ自体が過去の歴史として片付けられてしまう様な不安を感じた。

 今回は、昭和20年8月28日に択捉島に侵攻してきたロシア軍(当時はソ連)の状況を、必死の思いで知らせた三上郵便局長ご子息とご一緒でき、実際の体験談をお聞きし、”ふるさと留別”に59年ぶりに戻ることのできた場面に居合わせたことは、生涯に忘れることの出来ない体験です。10年前には、嵐で道が寸断され、ふるさとを目前に引き返し、今回念願の帰郷をされた姿を拝見し、何故もっと早く、何故もっと多く来ることができないのか、という思いが込上げてきました。私以上に多くの元島民の方々は、常に思い願っているに違いありません。

 時代の流れの中で、諸先輩たちの体験や歴史を正確に伝えて行くのも、我々の責務であると思います。今回の北方四島交流事業で改めて感じた事は、北方領土問題は勿論、我国は四方海に囲まれた島国であるが故に、領域と国益そして歴史認識を国際社会のなかで明確にし、安心安全な国民生活が営まれるように、国家の最重要事項として早急に取り組んでほしいこと、また教育、特に日本の歴史、江戸後期から現在までの歴史認識を明確にする教育が重要であること等です。

 私は昭和32年生まれで、高度経済成長のなかで育ってきました。戦争と原子力という言葉はタブーとして葬られ、過去を知ることより、今後の経済、社会にばかり目を向けて生きて来ました。商工会議所青年部活動を卒業後「国防なくして経済の発展無し」との思いから、7年前に防衛協会の青年部を設立し、今年から全国防衛協会青年部会長を仰せつかり、今回の事業に参加させて頂きました。

 全国防衛協会は47都道府県にありますが、青年部は私が会長を引き受けた今年当初が26都府県でした。その後埼玉県、和歌山県が設立、年内には茨城県も設立の予定です。ビザ無し交流も15年という地道な努力があり、今回のような感動的経験をさせて頂いたと思います。私も微力ながら今後とも、様々な活動に地道に努力して行くとともに、北方領土問題の現実を多くの人に伝えて行く所存です。団員皆様に感謝々々。