| 第117号(24.1.1) |
| 整理番号 |
タイトル |
投稿者(敬称略) |
| 117号ー1 |
中国訪問雑感 |
泉 徹 (全国連合会常任理事) |
| 117号ー2 |
<海外ぶら~り>ロシア訪問 |
山崎 眞(全国連合会常任理事) |
| 第116号(23.7.1) |
| 整理番号 |
タイトル |
投稿者(敬称略) |
| 116号 |
北方領土について一言 |
山本 誠(全国連合会前常任理事) |
| 第115号(23.7.1) |
| 整理番号 |
タイトル |
投稿者(敬称略) |
| 115号 |
<海外ぶら~り>パラオ旅行 |
岡崎 欽一(全国防衛協会連合会事務局員) |
| 第114号(23.4.1) |
| 整理番号 |
タイトル |
投稿者(敬称略) |
| 114号ー1 |
<オピニオン>フォークランド紛争の教訓に学ぶ |
白 善燁 (韓国陸軍協会会長) |
| 114号ー2 |
<海外ぶら~り>フランス・ベルギー旅行 |
谷口 和代(全国防衛協会連合会事務局員) |
| 第113号(23.1.1) |
| 整理番号 |
タイトル |
投稿者(敬称略) |
| 113号ー1 |
特別寄稿 韓国戦争勃発60周年に思う |
渡邉 元旦 (韓国陸軍協会会長) |
| 113号ー2 |
<海外ぶら~り>モロッコ旅行 |
大越 康弘(全国防衛協会連合会常任理事) |
| 第112号(22.10.1) |
| 整理番号 |
タイトル |
投稿者(敬称略) |
| 112号ー1 |
青年部会 10年目の節目に |
中村 光良(全国副会長・青年部会長) |
| 112号ー2 |
<海外ぶら~り>中欧4カ国 |
廣瀬 紀雄(全国連合会常任理事) |
| 第111号(22.7.1) |
| 整理番号 |
タイトル |
投稿者(敬称略) |
| 111号ー1 |
<オピニオン>民主党政権で募る不安 |
西本貴子(品川区議会議員) |
| 111号ー2 |
<海外ぶら~り> 米国東部 |
妹尾 隆(連合会事務局前参事) |
| 110号ー1 |
<オピニオン>「教育」で日本の立て直しを! |
高橋めぐみ (東京都江東区議会議員) |
| 110号ー2 |
<海外ぶら~り>ミサイル技術を支える ニューメキシコ(米国) |
廣瀬 清一(全国連合会常任理事) |
| 110号ー3 |
<ニュースの目>覇権に抗してきた日本は何処へ? |
森 清勇 (星槎大学非常勤講師) |
| 110号ー4 |
編集後記 |
|
| 117号-1 |
中国訪問雑感 |
泉 徹 (全国連合会前常任理事) |

このたびといっても去る6月初旬であるが、中国政経懇談会の一員として中国を訪問する機会が与えられた。訪れたところは、北京、青島、西安、大連で主だった観光地も含め見ることが出来た。
今回の目的は、日中北東アジア安全保障フォーラムに参加し、忌憚のない意見を交換し、日中関係の健全な発展に資することであると共に、際限なく発展している中国の行く末を見ることもその一つであった。
フォーラム自体は、昨今の尖閣諸島における衝突事案、中国海軍11隻の太平洋進出、フィリピン探査船への妨害、ベトナムのEEZ内でのケーブル切断等、中国側の強権的な出方により、中国に対する各国の批判も比較的強い状況の中での実施となった。又、日本が防衛計画の大綱を発表し、大震災においては日米共同を発揮すると共に中国がシャングリラ・ダイヤログにて東南アジア諸国の不評を買った直後でもある。
中国との調整ではよくある事であるが、当初、大震災に関する事は質問に答える程度であり、中長期的な安全保障に関する話をセッションの場で交換する事としていた。しかし、中国に到着し、実際フォーラムが始まってみると、第3部のセッション全てが大震災の質問に集中し、結果的に大震災の討議の場となった。又、見学についても青島の北海艦隊の海軍基地を見ることで調整がついていたが、これも艦隊が出港しており不在という事で、日本出発直前にキャンセルとなった。過去、幾度となくチャレンジしてきたが、今回もやはり、海軍の壁は高いのかと感じざるを得なかった。
ここでは、フォーラムの内容を述べる事が趣旨ではないが、フォーラム自体は海洋問題に終始し中国側の主張と日本側の主張は平行線のままでお互い言うべきことは明確に主張したといった状況であった。しかし、先程述べた中国に対する各国の厳しい視点もあり、このまま尖閣諸島や南シナ海の問題を大きくしたくない中国側の意図も伺えた。それよりも中国側は、今回の日本の東北大震災に興味があるようであった。
又、要人との会見においても梁光烈国防部長をはじめ、李肇星友連会会長(前外交部長)と会見する事が出来たが、種々の問題を先鋭化したくないためか関係修復に努力しようとする意図が伺えた。一方で、中国の立場を主張する事は、決しておろそかにせず、友好の裏には中国の言う独善的な発展が必要という事に終始していた。なお、丹羽宇一郎在中国特命全権大使との懇談において、力なき外交は無力あるといった発言があったが、我が国の主要閣僚でこのような認識を持っている閣僚はいないのではないかと感じ新鮮であった。
各施設の見学や研修も前回とは異なり、対応は非常に良かった。部隊や工場も第6装甲師団(北京)、空軍博物館(北京)、第24航空師団(天津)、海軍博物館(青島)、西安飛行機製作所を見学する事が出来た。中国海軍の重要性については、空母や原子力潜水艦の建造等から図り知るところであるが、おもしろい事に、空軍博物館は近代化されていたが、海軍博物館は10年前と全く変化なく、目新しいものは何もなかった。北京オリンピックがあり北京に近い空軍博物館を目新しくした印象もあるが海軍は、そういった所には投資せずもっぱら、正面兵力に力を入れているのかも知れない。
第6装甲師団(陸軍)訪問の際は、素晴らしい行進と閲兵で向い入れてくれた。一糸乱れない行進や訓練見学の際の大きな声での報告、あるいは、生活感のない宿舎等から、恐らくこの部隊は見学対応の見せる部隊であったかも知れない。
又、西安航空機製作所を昨年同様見学することができたが、前回の訪問の際、日本側に不評であったことが影響したのか、説明も細やかで民間部門の内部を十分見学する事が出来た。この航空機製作所は、民間機もそうであるが軍用機も製作しており工員、作業員の能力の高さが伺えた。この工場では、約2万人が働いているが、その40%が共産党員であり、13億の民の中で9千万、約7%が共産党員であることと比較してもその重要性と能力の高さが伺える。又、方々に赤のスローガンが建物の上部に張ってあったが、その内容を聞くと、「共産党員は秩序を保ち誠実に勤務し模範たれ。」と書いてあるらしい。やはり、党員の不正や腐敗がはびこっている事を象徴しているようでもあった。
今回、我々は経済的にも発展している勢いのある地域ばかりを訪問した。これは、貧富の差がある中国の実情の一部しか見ていないことになり、中国全ての実態を見た事とは程遠い。しかし、そういった背景はあるにしても、この中国の発展する膨大なエネルギーを感じざるを得なかった。10年前は、自転車ばかりが目に付き、走っている自動車もデコボコであった。しかし、今回の中国は、歩いている人民も西側と変わらない服装であり、何よりも車社会になっていた。その走っている車の多くは小奇麗で10年前の自転車で往来する様子が昔の面影となっている。又、どこに行っても多くのマンションが建設中であり、橋や地下鉄のインフラが整備中であった。勿論、先日の中国版新幹線のように、中身の精度や安全性は不明であるが、猛烈な勢いでインフラ整備が行われているのは事実である。反面、細やかな面は全くなく、中国人特有の大陸的な粗暴さで発展していると言っても良いかもしれない。
このような中国を見て、日本は中国の大陸的スタンスに流されないよう、飲み込まれないよう留意する必要があるが、恐らく、実情を知った多くの日本人に中国に住みたいかと言えば、NOと答えるような気がした。
一言で言えば、正に、中国は何でもありの国であり、10年前に訪問したときと同様、その考え方は「上に政策あれば、下に対策あり」である。
| 117号-2 |
<海外ぶら~り> ロシア訪問 |
山崎 眞 (全国連合会前常任理事) |
十年程前になるが、二年連続でロシアのウラジオストックとカムチャッカ半島を訪れたことがある。現役時代に関係を築いたロシア海軍太平洋艦隊司令官の招待によるものだった。
カムチャッカ半島のペトロパブロフスクは市政270年を誇る歴史のある街である。ここを一歩離れると広大な大自然に面し、富士山より高い活火山が眼前に聳えている。温泉も豊かで、底一面から湯が湧き出てくる水泳プールのような大きな温泉が幾つか軍の保養所にあった。宇宙飛行士や原潜乗組員の健康管理に利用されているということだ。
ペトロから北へ一時間余りヘリで飛ぶと広大な間歇泉峡がある。沢山の間歇泉から蒸気が噴き出る様は圧巻だ。飛行中は眼下に活火山の火口やエメラルドグリーンに輝く火山湖が見える。原野には熊の群れが蠢いているのもよく見えた。
ある農村で夕食会を催してくれた。ロシアは歌とウオッカ、それに豪勢な料理が売り物である。ウオッカは一人ひとり口上を述べて皆(女性を除く)で一気飲みをやるのが流儀だ。ロシア滞在中は、朝からウオッカのもてなしを受け常に酔った状態だった。
帰路、ペトロの軍の飛行場から飛び立つ前、司令官専用機の傍には簡単なテーブルが運ばれその上にはウオッカとつまみが並べられた。見送りに来た地区司令官達とお互い涙ながらに一気飲みを交わして別れを惜しんだ。
| 116号 |
北方領土について一言 |
山本 誠 (全国連合会前常任理事) |
先般サイパン島の攻防戦を描いた「太平洋の奇跡」(フォックスと言われた男)という映画を観て感激し、涙した。
サイパン島に続き、日米は硫黄島・沖縄と激戦を続け、日本側は勿論のこと、米側も多数の戦死者を出しながらアメリカはこれを占領した。しかしアメリカは終戦後、硫黄島を含む小笠原諸島も沖縄も日本に返還した。これに対してソ連(ロシア)は日ソ不可侵条約を破って我が国の北方領土に侵入し、終戦後にかけて火事場泥棒の様にこれを不法占拠して未だに返還していない。
アメリカの正義を重んじる紳士的な姿勢に対してロシアの姿勢は何と卑劣なことか。ロシア人の中にも北方領土の不法占拠に疑問を抱いている人達が居るとの情報もある。小生が蒐集した新聞情報の中から、ロシア人の北方領土に対する意識に関するものを若干列挙してみたい。
○平成17年6月、ロシア民間の国際社会学研究センターがロシア全土40地域で行った世論調査によれば、51%が北方四島は日本に引き渡すべきだと回答した。
○平成18年6月、ロシア国営「文化チャンネル」の「ロシアのアジア政策を巡る学者らの討論番組」で、「日本はロシアの死活的なパートナーだ」として北方四島の日本への返還を主張する意見が表明された。
○平成20年7月、英国に亡命したロシア人女性ジャーナリスト、エレーナ・トレグボさんが産経新聞と会見し、平成9年11月クラスノヤルスク郊外でボリス・エリツィン大統領が橋本龍太郎首相と会談した際、「あなたの求める島をすべて返そう」と一旦は北方四島の全島返還を約束していたと証言した。
○平成20年11月、ロシアのプーチン首相の公式サイトに公開されている世界地図で北方領土が日本領土として区分されていることが分かった。技術者が政府方針に反する間違いをした可能性があるが、同年11月8日時点で変更されていないとする報道があった。(技術者がこの様な間違いをする根底には北方領土が日本領土だとする潜在意識があるからではないか?)
○平成22年7月、日本の外務省がロシアで行った世論調査によれば、ロシアが不法占拠している北方領土について、「今後もロシアに帰属する」と考えているロシア国民が6年前の48%から今回は53%に増加したと報じている。しかしこれは裏を返せば約半数に近いロシア人はそう考えていないことになる。
○平成23年3月、ロシア大衆紙モスコフスキー・コムソモーレツは、東日本大震災に見舞われた日本人の悲しみを和らげ、日本への同情を示すべきだとして、「クリール諸島(千島列島)の四島を今すぐ無条件で日本に返さなければならない」と主張する異例のコラムを掲載した。
以上ロシア人の北方四島に関する意識を垣間見ると、忸怩たる想いを抱いている人達が少なからず居ることが分かる。
こういった情勢の中で、平成23年2月には在露米国大使館が北方領土について、「この問題での日本の立場を支持する。(北方領土の)島々への日本の主権を認める」と表明。
クリントン米国務長官も北方領土の日本主権を認めると発言しているという。
遡って平成17年には、欧州会議で「ソ連により占領され、ロシアが現在占拠している北方領土の日本への返還」を求める決議が採択されている。
更に遡って昭和54年(1979年)、札幌市のホテルで行われた「中日友好の船」訪日代表歓迎レセプションで、団長の廖承志中日友好協会会長は「北方領土は過去、現在、そして将来にわたって日本固有の領土であり、中国人民は断固、日本人民による領土回復の正義の闘争を支持する」と演説し、万雷の拍手を浴びたとする記録もある。
北方四島は日本固有の領土とし、「ソ連覇権主義」の不法占拠を攻撃する中国の指導者の発言や報道は当時、山のようにあったという。
中国のそれは最近、尖閣諸島問題で矛先が鈍っている様だが、ここでロシア支持に回れば中国は、目先の利益で動く不条理な国としてのイメージを国際社会に広めることになるであろう。世界を見渡せば日本の味方は結構多いのが現状である。
内外で領土問題への関心が高まっている今こそ、正義感の強いアメリカ世論を強力な味方として国際世論を醸成し、搦め手で周辺から積極的にロシア国民に訴える戦略に出るべき秋ではないか。
| 115号 |
<海外ブラ~リ>フパラオ |
岡崎 欽一 (全国連合会常任理事) |
パラオが日本の委任統治領だったことを知っている人が少なくなりつつある。 日本人の若い人達はペリリュー島で日米の激戦があったことすら知らない。
それでも、日本軍の計らいによりパラオ民間人の犠牲者を出さなかったことや、現在も日本が大きな援助をしていることもあり、対日感情は極めて良い。
日本が委任統治間コロール市に南洋庁を置き、精力的に行った学校や病院、道路などのインフラ整備は今も受け継がれ、教育程度も高いパラオの人々は清潔な町並みに暮らしており、のんびりとした暮らしぶりの多いミクロネシア諸島の中では珍しく(失礼!)勤勉であり、コロール市内のお店では早朝6時には手作りドーナツを並べていた。
毎年スキューバダイビングのメッカとしてリゾートライフを楽しむ日本人は2万を大きく越え、パラオの観光客の2~3割を占める。そしてこれは成田からの直行便就航に伴い近年増加する傾向にある。
一方パラオではフィリッピンからの出稼ぎにより肉体労働が減り、蛋白源が伝統的な魚介類から輸入肉製品中心になったことなどにより、肥満の問題が発生している。
若い人達にまで肥満が及んでると心配する、JICAから看護師として派遣されている日本の若い娘さんは、パレオを巻き休日を楽しんでいた。
日の丸に由来すると言われている青地に黄色の丸の国旗を持ち、親日的な人口2万人余のパラオとの親善が長く続くことを祈りたい。
ちなみに、在日パラオ大使館は、新宿区片町に所在し、全国防衛協会連合会・東京都防衛協会事務局とはお隣さんである。
| 114号ー1 |
<オピニオン>フォークランド紛争の教訓に学ぶ |
渡邉 元旦 (全国連合会常任理事) |
フォークランド紛争の教訓に学ぶ
- 尖閣諸島を如何にして守るか ―

29年前の1982年、日本から遠く離れた南米大陸の沖合にある「フォークランド諸島」(以下、フォ諸島という)において、同諸島の領有権を巡って、1833年から実効支配している英国とそれ以前からの自国の領有権を主張するアルゼンチン(以下、ア国という)が3月19日から6月14日の3ヶ月にわたって激しく戦った。
「フォークランド紛争」(以下、フォ紛争という)と呼ばれているこの戦いは、英国の勝利に終わったが、その背景や両国特に英国政府の行動を考えた時、現在の「尖閣諸島」を防衛するため参考にすべき点が多々あると考える。以下、フォ紛争の経過を観察しつつ汲み取るべき教訓を考えてみたい。
(注)フォ諸島:南米ア国の南端部の沖合東約500㎞に位置、面積約12,200平方㎞、人口約3,000人を有する諸島。首都はスタンリー又はポート・スタンリー。スペイン語では「マルビナス諸島」
☆ 紛争前の英国、ア国のフォークランド諸島に対する政策
英国の第2次世界大戦による国力消耗の結果、フォークランド諸島は、手放されはしなかったものの、英国本土への羊毛の輸出でどうにか成り立っており、島民は二等市民として扱われ英国本土との定期航空便もないなど本国からあまり面倒も見られずに、ア国からの医療などにおける様々な援助のおかげでどうにか維持されてきたような状態であった。
このような中、1979年、英国首相に就任したサッチャーは、国際連合憲章第1条第2項に則った人民の自決の原則を理由に、フォ諸島住民の帰属選択を、領有権問題決着の絶対条件にしていた。
一方、ア国は、第2次世界大戦後は、英国の維持能力を超えていたフォ諸島に対して医療サービス等を行いながら、国際連合を通じて英国に対して同諸島の返還を要求してきた(これに対して英国政府も条件付ながら返還を認めるとしてきた)が、1976年からの軍事政権への移行、更には国内政治の行き詰まる中、1982年、ガルチェリ政権は国民の不満を外に向けるために同諸島の無条件返還を要求することとなり、交渉は難航していた。
☆ 紛争前夜の動き
同年3月19日、フォ諸島沖合東約1,000Kmに位置する英国領サウス・ジョージア島(以下、サ島という)にア国海軍輸送艦が来航、同島に放棄されていた捕鯨工場を解体する名目でア国人約60名を、入国手続きを無視して上陸させた。英国政府が直ちにア国政府に対して厳重に抗議するとともに海兵隊員22名を載せた巡視船及び軍用ヘリコプタ2機を同島海域に派遣したため、ア国は輸送艦を撤退させたが、その際、数十人のア国人を同島に残した。
数日後の26日、ア国は「同島に残っている同胞の警護」の名目で、海兵隊員約500名と補給物資を載せたア国海軍砕氷艦を同島のリースハーバーに停泊させるとともに、直後から海軍の活動を活発化させ、軍事演習と称して空母、駆逐艦、潜水艦、輸送艦等の移動を開始した。これに対して英国は28日、機動艦隊の派遣準備に着手したが、ア国は30日、空母を旗艦とする15隻で編成された艦隊を陸軍4,000名の将兵とともにフォ諸島に向けて出撃させた。
☆「青作戦」発動
1982年4月1日深夜から2日早朝にかけてア国軍約900名は、ゴムボートに分乗したコマンド部隊による隠密上陸と水陸両用車両を使用した強襲上陸を併用して東フォークランド島に上陸、瞬く間に島都スタンレー及びスタンレー空港を占領した。海兵隊79名の英国軍は、衆寡敵せず、午前9時半に降伏した(本作戦は、ア国国旗の色に因んで「青作戦」と呼ばれた)。また、その直後には既にサ島に待機していたア国軍海兵隊が同島にも上陸を開始し、英国軍海兵隊23名の抵抗を排除して占領した。英国は直ちに空母2隻を中核とする機動艦隊を派遣するとともに米国に対して事態の打開を要請した。
☆ 紛争の経過及び結末
英国は4月5日、空母「ハーミーズ」を旗艦とする機動艦隊を出撃させ、また、「クィーン・エリザベス二世」に対して民船徴用権を行使するなどの作戦準備を進めるとともに米国の協力を得つつ国連安全保障理事会でのア国の撤退決議、ECによるア国への経済封鎖決議等国際世論を味方につけることに成功した。この間、25日には特殊部隊がサ島に逆上陸、同島を奪還したが、ア国は態度をさらに硬化させ、29日には米国の調停案を拒否した。ここに至って、当時の英国首相サッチャーは「我々は武力解決の道を選択する」としてフォ諸島の奪回を決断した。
一方で、作戦の進捗に伴い、4月12日には早くもフォ諸島を中心に半径200マイル以内を封鎖海域としア国軍の補給を断つとともに海軍、空軍及び海兵隊SBS部隊等を駆使してア国軍海軍・空軍の撃破を図り、5月21日には陸軍SAS部隊の陽動作戦に呼応して陸上戦闘部隊が東フォークランド島、サン・カルロスに上陸、26日から島内各所に展開しているア国軍に対する攻撃を開始、一部の部隊は直路スタンリーに向かって進撃を開始した。6月8日には徴用民船「クィーン・エリザベス二世」で輸送された部隊が上陸、島内各所でア国軍を撃破した部隊と連携し、首都スタンリーに迫った。6月14日正午、ア国軍は総司令官以下9,800人が投降、戦闘は終了した。
☆ 尖閣諸島の防衛に資する教訓
フォ紛争は、翌15日にガルチェリが「戦闘終結宣言」を出し(17日には失脚)、20日に英国が「停戦宣言」を出して終息した。フォ紛争前の英・ア両国の対フォ諸島政策、フォ紛争を通じて次に記述するいくつかの教訓を得たが、これらの教訓を肝に銘じ「尖閣諸島」防衛について「フォークランド紛争」の轍を踏まないように願うものである。
☆ 教訓その1 自国領土「尖閣諸島」防衛に対する堅固な国家意志表示
紛争前、英国はフォ諸島に対して、実効支配していながらフォ諸島の行政・経済・防衛に対して真剣に対応していなかったのみならず、条件付ながら同諸島のア国への返還を認めることを考えていた事は大きな失敗であった。
「尖閣諸島」が日本の領土であることを国際世論に訴えるとともに他国に占領さらには実効支配されないような施策を早急に講じるべきである。
☆ 教訓その2 「尖閣諸島」有事における政府の揺るぎなき決断と実行
ア国のフォ諸島侵略の兆候を捉えてからの英国政府の対応は、サッチャー英国首相の「武力解決」の決断はもとより、米英同盟の強い絆による米国の積極的な協力・支援の獲得、国際世論を味方につけたことにみられる秀でた外交手腕等、素早く見事であった。
平素から米国との同盟関係の強化及び国連における日本の地位・役割の向上に努力するとともに「尖閣諸島」有事に備えた国家を挙げての具体的計画・対応策を検討しておく必要がある。
☆ 教訓その3 日米同盟の強化
フォ紛争の終始を通して、米国は英国に対してア国軍についての必要な衛星情報及びア国軍が使用している米国製兵器等についての情報を提供し、英国軍の作戦を支援した。
日米同盟を強化・深化し、日米政府間の緊密な連携はもとより米軍・自衛隊間の共同作戦能力を強化するとともに侵攻を企図する国や勢力の動向について米国から衛星情報を提供してもらう等の施策を強化する必要がある。
☆ 教訓その4 離島防衛に必要な装備品の研究開発・装備化と部隊訓練
ア国軍によるフォ諸島、サ島侵攻直後から英国軍の素早い作戦行動を支えたのは、逆上陸作戦を可能にした陸・海・空軍の近代化された装備及び将兵の優れた作戦・戦闘能力であった。
占領された「尖閣諸島」への逆上陸を可能にする装備品の研究開発・装備化、実戦に即した部隊訓練を早急に開始する必要がある。
| 114号ー2 |
<海外ぶら~り>フランス・ベルギー旅行 |
谷口 和代 (全国連合会事務局員) |
1月に初のユーロ圏への旅に出た。初めに驚いたのはフランスからベルギーにバスで移動した時である。ガイドの「只今国境を越えました」という声で外を見ると、そこには廃墟と化した「検問所」があった。バスは止まることなく、まるで東京から横浜に行くように何事もなく通り過ぎている。
国と国がこんなにも簡単に行き来できるなんて・・・ユーロ圏は政治と経済を分離し、経済分野のみの統合で国家と類似した制度を作り、統一通貨にまで発展させたようだが、その昔このような環境のせいで戦争を繰り返し、結果考え出された生活の知恵なのだと実感した。

中世の面影を残すブルージュの町
ベルギーのブルージュは町全体が中世の時代そのままの素敵な町である。まるで不思議の国に行ったアリスの気分であった。
フランスで印象に残ったのはシテ島にあるマリーアントワネットの牢獄である。前日に豪華なベルサイユ宮殿のキンキラキンに目を奪われたせいか、牢獄の部屋は粗末で、そこに座っている彼女の人形はあまりに哀れである。
でも、ガイドの説明によると、彼女は「ごめんあそばせ」と言ってギロチン台への階段を上ったらしい。「最後まで毅然として威厳を保っていた」と感じる人もいるだろうが、ガイドによると「彼女がもっと賢かったら歴史は変わっていただろう」と言う事らしい。
私が思うに、生まれながらのお姫様には贅沢する事もギロチン台に送られる事も、自らの運命に従って来たに過ぎず、深く考えていなかった気がする。
日本にも母親から毎月1,500万円もお小遣いを貰っていながら「それが何か?」という人がいるがこの人たちはきっと同じ感性なのでは?と思う。
色々な事を感じながら帰国して真っ先に食べたかったのは羽田空港にある「つるとんたん」の「きつねうどん」だった。美味しかった!日本人で良かったと実感した瞬間であった。

キンキラキンのベルサイユ宮殿 粗末な牢獄で座るマリーアントワネットの人形
| 113号ー1 |
<特別寄稿>韓国戦争勃発60周年を想う |
白 善燁 (韓国陸軍協会会長) |


一 新年のご挨拶
「新年明けましておめでとうございます」輝かしい2011年を迎え、防衛協会連合会の皆様に、新年のご挨拶をできる機会を得ましたことを光栄に存じます。
一昨年9月に防衛協会韓国研修団をソウルに迎え、研修団皆様の訪問を受け、また板門店等の研修に同行し、大変に有意義な機会でした。また皆様には民間レベルでの韓日防衛交流に多大な貢献を頂き感謝しています。
さて、その後の南北の軍事境界線地域における北朝鮮の挑発行為については既に報道されている通りです。ますます緊張を高める北朝鮮の軍事優先体制には不安を感じるばかりです。
2010年3月の韓国海軍哨戒艦「天安」(チョナン)撃沈に次ぎ、11月の民間人を巻き込んだ「延坪(ヨンピョン)島砲撃」は言語道断です。
北東アジアにおける最大の不安定要因となっていることに強い憤りを感じます。北東アジアの情勢が激動するこの時期に、全国防衛協会連合会の皆様に対し一言申し上げ、参考にして頂ければ幸いです。
二 韓国戦争勃発60周年記念
2010年は韓国戦争(以下朝鮮戦争)勃発から60周年にあたり、韓国では各地において記念の行事等が行われました。60周年記念は私にとっても当時のことを振り返る多くの機会を得て、感慨無量でした。
60年も昔の出来事となると、往時茫茫といった感が強く、それでもいくつかの点については、昨日のことのように記憶が鮮明で、自分でも不思議に思うことがあります。
韓国戦争の前半、私が指揮した第1師団は、戦線の西端に配置された関係から、多くの期間、米軍と連合することとなりました。
戦争の前に、米軍との連携を演練する機会はもちろん、協定や取極めすら一切ありませんでした。戦争が始まってからも、韓国軍の作戦指揮権を国連軍司令官に委譲するという内容の1950年7月14日付の大田協定があるだけでした。そんなことで、戦いつつ学び、学びつつ戦う他ありませんでした。
戦場とは実に厳しい教室であり、苦労させられたものです。作戦行動における事前の準備や訓練が必要な所以です。
多くの記憶の中で忘れがたい経験のひとつが、連合作戦や同盟についてです。韓美(米)連合こそが韓国戦争の主軸であり、かつ今日的な問題であり、強く頭に残っているのだと思います。
また今般、安全保障問題に関心が深い日本の方々に、単一指揮権の下に異国の軍隊と共に戦う連合作戦の実相や同盟関係について述べますのも、北東アジアの現況に照らして意味あることだと考えます。
三 韓美(米)連合の実相
1950年8月12日の夜、第1師団は大邱北側、多富洞(タブドン)という村落を中心とする不撤退の線に入りました。敵の圧力は日増しに強まり、有効な対戦車手段がないため、いつ大邱に向けて突破されてもおかしくない状況に追い込まれました。
そんな8月17日の夕刻、大阪の信太山から韓半島に入った米第27連隊がジョン・マイケレス連隊長の下、連隊戦闘団を組んで現れ、なんの躊躇の色も見せず、谷底に入り道路沿いに布陣して敵戦車を阻止する態勢を整えました。
あの時は実に嬉しく、これで任務を完遂できると安堵したものでした。同時に責任の重圧も感じました。万一、道路の両側の高地で防御している我々が後退するようなことになれば、谷底にいる米軍は孤立して大損害を被るのは目に見えている。我々を信頼しているからこそ、来援の米軍は『孫子』が近づくなと説く「天牢」に平然と入ってくれたのでしょう。
その信頼に応えるためにも、高地の陣地は死守しなければなりません。これは私だけでなく、第1師団全員の決意でした。はるばる助けに来てくれた異国の戦友に笑われるようなことだけはしたくない、それが韓国男子の面目です。多富洞を取り巻くあちこちの高地で、その決意で全将兵の心はひとつになりました。だからこそ、韓米両軍の特性に応じた役割分担が定まり、ここで北朝鮮の野望を潰えさせることができたのです。
この多富洞での一戦で、第1師団はひとつの実績をものにし、それが更なる信頼感を醸成しました。第1師団と肩を並べて戦うと、よく掩護してくれるので損害も少なく、かつ戦果も上がると米軍の間で評判になったようです。それは次なる実績を生む契機ともなりました。
釜山橋頭堡からの総反撃に当たり、第1師団は米第1軍団に編合されることとなりました。その際、フランク・ミルバーン軍団長は、第1師団の貧弱な砲兵力を知ると、虎の子の砲兵3個大隊で支援すると確約してくれました。
米軍の師団並の火力があったからこそ、第1師団は全軍に先駆けて敵の包囲網を突破できたのです。ひとつの実績を残すと、さらなる信頼感や戦友意識が生まれ、望ましい方向へところがり出します。
1950年10月の平壌攻略戦では、迅速な進撃には機甲力が不可欠と感じ、そこで無理は承知で軍団に支援を要請すると、気持ち良く戦車1個大隊を回してくれました。それも最新式のM46中戦車の大隊です。この戦車大隊がなければ、第1師団は平壌一番乗りの栄冠に輝くことはなかったでしょう。
体験から言えることですが、だれもが利己主義になりがちな戦場では、口先だけでは誰も信用してくれません。実績と誠意がなければ、信頼関係は築けないし、それがなければ連合作戦は成立しません。助けられる側に自ら努力する気持ちがなければ、すぐにも信頼関係は崩れて連合作戦は瓦解します。
四 日本の皆様へ
以上、述べてきたことは、師団レベルでの連合作戦ですが、これを軍レベル、さらには政戦略レベル、即ち国家間の同盟関係にまで敷延することができるでしょうか。いや、国家間では国是、国益、威信などという形而上の要素までがからみ、信頼関係の構築は軍事の世界よりもさらに複雑になるでしょう。理想的な同盟関係を築くには、どうすべきなのか。一介の武弁が論じるべきテーマではないと自覚していますが、共に米国との同盟関係にある日本にとっても同盟関係の本質は同じだと信じています。
北朝鮮という差し迫った問題を抱える北東アジアの安全保障という観点から、最後にこの問題を語らせてもらいたい。承知のように韓国と日本の間には、厳密な意味での同盟関係はない。
しかし、1953年10月締結の韓米相互防衛条約、そして1960年1月締結の日米安全保障条約があり、米国を介在する形で韓国と日本が連携する形となっており、周辺の各国もそのように理解していると思います。
この三国は、共に海洋に生きることを基本方針とし、かつ自由と人権の尊重といった理念も共有しているから、強い紐帯で結ばれていると考えます。成文の条約がないから同盟関係にはないと考えるのは短絡でしょう。成文の条約がなくても、互いに信頼関係を深めて行こうという意識が、一衣帯水の関係にある国同士では必須です。そんな意識を持って諸問題の解決を図ることを次世代に期待するものであります。(2010年12月吉日、ソウル戦争紀念館にて)
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| 113号ー2 |
<海外ぶら~り> モロッコ旅行 |
大越 康弘(全国防衛協会連合会常任理事) |

サハラ砂漠をラクダで
今年1月モロッコにツアーで旅行してきた。モロッコは、地中海の入り口ジブラルタル海峡の南に広がる一時フランス領であったイスラムの国で、イスラム特有の青い模様のタイル壁が美しいモスク、遺跡が都市部で見られる。旧市街はメディナといわれて世界遺産になっているところもあり、ベールをかぶった多くの女性も行き交う市場混じりの賑やかな生活地域だ。
海岸地域は温暖だが、南のサハラ砂漠に行くには東西に広がる3000m級のアトラス山脈が横たわっており、峠を越える際雪に見舞われた時は、ここは本当にアフリカかと疑われた。
峠をこえた南部の都市エルフードを未だ暗いうち車でひたすら南下すること約1時間、ようやくサハラ砂漠の砂丘にたどり着いた。そこからさらに30分ほど徒歩であるいはラクダに乗って砂丘を進み、そこで日の出を待った。東の砂丘の上から太陽が昇り始めた。綺麗な朝焼け、砂丘の一点から放たれる眩い光線、静寂な広々とした一面の砂丘、この地でしか味わえない感動的なシーンであった。
そこから西へ、昔はラクダ商隊の通り道でオアシスとカスバ(砦館)が点在するカスバ街道といわれる所を通った。思わず昔「カスバの女」を歌っていた頃を思い出して、しばらく砂漠情緒に浸ってしまっ
た。
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| 112号ー1 |
青年部会 10年目の節目に |
中村光良(全国副会長・青年部会長) |
自衛隊への協力と若者に対する防衛意識の高揚を目的として2001年に東京で設立された全国防衛協会連合会青年部会は本年で10周年を迎えることができました。
その間、日本とアメリカの政権交代 縮小しないテロ活動、中国、インドの大躍進、自衛隊においても防衛庁から防衛省への格上げ、国際貢献活動の拡大など環境は大きく変化しました。
私逹青年部会も、21団体であったのが31団体にまで増え、各地の活動も非常に活発になり、自分たちの内部の活動にとどまらず、女性や子供も対象とした事業やシンポジウムの実施など年々充実してきています。
日本は、昨今、個人や家族を過度に大切にするがために、国や民族という我々の存在の根本を考えることが希薄になってきています。これこそが日本が抱えるあらゆる問題の根源にある大きな原因であると思えてなりません。
北朝鮮のミサイルが領土内を通過しても、日本の領海とされている海域で中国が油田開発をしても、何も感じないように「自分に火の粉がかからないならどうでも良い」という行き過ぎた個人主義が今の日本の国力を弱め、国内のあらゆる問題を引き起こしていることは明確です。
沖縄県与那国島の中国と台湾の緊張の恐怖から端を発した陸上自衛隊の設置の島民運動や、対馬の韓国による買収問題や、北方領土、竹島、尖閣諸島と国民が知っている大きな問題以外にもそれぞれの地域で日本の領土、領海の問題が各地で大きな問題になっています。
しかし、その地域では大きな問題となっていても全国に広がらないのも国民意識の希薄さが一因のように思えます。そんな中、昨年政権交代があり大きな節目を迎えました。そして新政権のスタンスが奇しくも普天間の問題等で国民に対して安全保障を考えさせる大きなきっかけを作りました。「いままで、そんなこと考えたこと無かったけど普天間の問題で世界の中の、とりわけアジアでの日本のポジションが何となくわかった。」といったような意見を聞かれた防衛協会メンバーは少なくなかったのではないでしょう
か?
このように我々青年部会は10周年という節目だけではなく、国民の意識が大きな節目を迎えている今こそ、今まで以上に一歩踏み込み、自衛隊との関係を今まで以上に強固なものとし、世界の中で日本が置かれている状況を十分考慮して、目的である防衛意識の高揚をよりわかりやすい形で国民の特に若者層に理解してもらえるような事業展開を図っていかなければなりません。
先ほど述べた領土・領海問題のようにその地域だけの問題にするのではなく、日本が危険な状況に置かれていることを私たちが正確に理解し、国民一人ひとりに問題意識を持ってもらうことも青年部会の役割です。
各都道府県の防衛協会の平均年齢が高くなってきている中、我々、青年部会を構成する世代はまだまだ国防、安全保障について意識が希薄であることは事実です。先輩たちが培ってこられた活動を今後も継続し、一人でも多くの国民に広く深く啓発していくためにも親会や各地青年部会とも連携をとりながら活動を大きな輪にしていかなければならないと考えます。
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| 112号ー2 |
<海外ぶら~り> 中欧4カ国 |
廣瀬 紀雄(全国防衛協会連合会常任理事) |
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ハンガリー王国初代国王「イシュトヴァーンⅠ世像」
(ブダペスト・漁夫の砦)
昨晩秋、中欧4ヶ国の首都ウィーン・ブダペスト・ブラチスラバ・プラハを歴訪し、歴史的に重みのある王宮・城砦・教会・街並みの見学や地域特有の料理を味わうと共に宝物館・美術館・マリオネット劇の観賞を通じて、中欧の歴史・伝統・文化の一端に触れることができた。
また、各国の英雄のモニュメントを通じて、各国の興亡の厳しい現実を垣間見るとともに、民族の誇りやアイデンティティを失わない努力が窺がわれた。
旅行間、フリーパスの広大な検問所跡地が印象的で、冷戦終結の契機となった、いわゆる1989年の『汎ヨーロッパ・ピクニック』(東ドイツ国民のオーストリア越境)の舞台となったのは、ハンガリー北西部ショプロンの検問所であった。
しかしながら、チェコからウィーンへ向かう地方道の国境直前で、検問中の警察官にパスポート提示を求められ、1~2Km後に、再度、別のパトカーの検問を受けた。検問理由は不明だが、国境を改めて認識した出来事であった。
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| 111号ー1 |
<オピニオン>民主党政権で募る不安 |
西本貴子(品川区議会議員) |
民主党が圧倒的な支持を受け政権交代になり、8ヶ月を過ぎた。当時民主党のマニフェストを読み、財源が不明瞭であり、且つ歴史経過を踏まえた政策ではないと感じた不安が現実となっている最近の政治です。
自民党政権の時、強行採決で様々な法案を通した手法を非難してきた民主党も与党になると同じことをする現実、今後の日本の政治に対し、不安感をもつ国民も少なくないでしょう。
国民の期待は国民の声を十分に聞き、賛否様々な意見の中で政策を打ち出し、しっかりと説明責任を果たしていくことです。それが悉く裏切られた状況です。中でも公開の事業仕分けは、今まで国民に知らされていなかったことが明確になり、政治に対する関心を高めたことは大いに評価するものの、これが現実的にどのように反映しているかは不透明です。
防衛省の22年度の予算は前年度と比べ、大幅に減額されています。防衛装備品等の整備及び維持の縮小のほか、自衛隊の教育・訓練にかかる予算が大幅減額になっていますが、事業仕分けの結果とどうリンクするのか非常にわかりにくい。アメリカでは増加、中国に至っては、21年間で20倍に軍事費が増大しています。これが何を意味するのか世界的な視野でしっかりと見た上での防衛費の削減でしょうか。
普天間飛行場の移転問題では、鳩山政権の優柔不断な特徴が露呈しました。首相は「野党の時代には見えてなかったことが見えてきた」と語り、しかも「学べば学ぶほどに」と。この発言は、首相の立場で言ってはいけない言葉だったと思います。どれだけ国民の期待を裏切るつもりなのか、沖縄県民の大規模な反対運動、訓練移転先と急に候補に上げられた徳之島住民の困惑、地域が団結している中で平野官房長官が、少数派の基地誘致賛成者と懇談をすることはいかがなものか。地方分権を推奨するなら、地域住民に任せるべきで官房長官が口出しすべき事ではなく、地域で十分に議論し、対等の立場で国と向き合うべきことです。
そもそもこの問題は、何年もかかって議論されてきたことで大きな方向転換は数ヶ月で決着できるような簡単なことではありません。結局は原案を通す形になりました。沖縄だけではなく、日本全体を混迷に陥れた鳩山政権の責任は重大です。しかも外交的にも信頼を欠くことになりました。
民主党の中にも信頼ある政治家は沢山いまのに、民主党内部から議論が湧かないことが不思議です。
党内は民主的で独裁政治に陥ってはいないのか。このまま民主党に日本を任せて良いのだろうか、日々国民の不安は募るばかりです。地方議員の1人として国民の不安を取り除くためにも地域住民と立ち上がらなければと新たな気持ちです。 (無所属の会幹事長)
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| 111号ー2 |
<海外ぶら~り> 米国東部 |
妹尾 隆(連合会事務局前参事) |
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ニューヨークロックフェラーセンター前
昨年末、米国東部を20年ぶり(3回目)に訪問し、様々の変化を実感した。(率直に言って、正に『隔世の感』でした)
約30年ぶりのワシントンDCでは、ホワイトハウスの主が初めて黒人に変わり、折から訪米中の印度首相の影響もあってか町では大勢の印度人を見かけた。
近々、ダレス国際空港~DC中心への地下鉄延伸計画があるようで、米国の環境問題に対するスタンスの変化を感じた。(その後5月末、実際に日本の車両メーカーが当該地下鉄車両を受注した旨が公表され、米国・オバマ政権が環境・エネルギー問題に真剣に取り組んでいることを改めて確認した)
ニューヨークでは破壊された世界貿易センタービル(WTC)跡地「グランドゼロ」周辺で急ピッチに進む再開発工事、ゴースト化されたWTCが描かれた絵葉書、「自由の女神」へ渡る乗船前の航空機同様の厳しい検査、未だ閉鎖中の女神王冠部展望台等々、9.11テロの影を強く感じた。他方ニューヨーカーから【9.11テロの嘘】という大変なストーリーの説明を受け、この国の「言論の開放度合い」も再認識出来た。
以前「危険、決して近づくな!」と言われたハーレム地区は今や観光スポット化し、オバマ大統領も時々訪れるレストランでソウルフードを味わい、深夜遅くまでライブジャズを楽しんだ。まるで、1年少し前のリーマンショックなど無かったかのように盛り上がっているクリスマス商戦・買物客を横目に、アメリカの『変化&復活へのエネルギー』を実感した旅だった。
(事務局注:氏は会長交代伴い旭化成ケミカルズ㈱に復帰しました)
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| 110号ー1 |
<オピニオン>「教育」で日本の立て直しを! |
高橋めぐみ(東京都江東区議会議員) |
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前回のオピニオンへの寄稿は、初当選したばかりの頃で、区議会議員になったきっかけなどを書かせて頂きました。
あれから3年経ち、その後自衛隊の皆さんとは色々とご縁があり、現在は区内の自衛隊父兄会の会員にもして頂いております。ご家族の皆さんが、自衛隊で活躍するわが子を誇りに思っていらっしゃる場面に触れ感動を頂いております。また、観艦式の見学や自衛隊音楽まつりの観覧もさせて頂き、今や大変身近な存在となっており、改めて自衛隊の皆さんに感謝申し上げます。
私は主婦から議員になり、自分の経験や思いからやりたいことがあり、この3年区議会議員の仕事をさせて頂いております。当初は地域の皆さんの声を聞いて行政サービスを高めることを目標としておりましたが、自分の中でそれだけではいけないという気持ちが大きくなってきました。むしろ我々一番身近な地方議員ひとりひとりが、日本という国をどうしていくか、日本人はどうあるべきか、地域・住民を含めた国家・国民に対してどう責任を取っていくかを考えなくてはいけないと思うようになりました。
自助、共助、公助の中で、何でもすぐに公助に頼る風潮に疑問を感じるようになりました。では、税金をさらに上げて公助を充実させるのか、本当に必要なものだけを残して行政のスリム化を図るのか。このまま、バラマキをして、未来へツケを回す選択をするのか。本当は我々ひとりひとりが、少し我慢や努力をすればいいことではないでしょうか。
私の好きな作家の曽野綾子さんが「雨風をしのげる所に寝て、今晩食べるものに心配しないものを貧困とは言わない。」と講演で話されていました。私は20代の頃、旅行の添乗員の仕事をしていた上に趣味が海外旅行だったので、色々な国を見てきました。その度に日本は本当に恵まれている国だと思いました。
なぜそれに気付かず、不満ばかり言う人間が増えてしまったのでしょうか。満足のいかないことを、他人や社会のせいにする人間をこれ以上作ってはならないと思います。
なんと言っても、やはり教育です。私も小学生二人の母ですが、教育こそが、日本を立て直す原点です。今さえ良ければ、江東区さえ良ければ、日本さえ良ければ・・・というように、目先のことにとらわれて、無責任な政治をすることの無いよう、世界を視野に入れ、20年30年後を見据えて今何をすべきか、私も区議会議員として、区民の皆さんに理解を得ながら責任ある政治をするよう頑張って参りたいと思います。
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| 110号ー2 |
<海外ぶら~り>ミサイル技術を支える ニューメキシコ(米国) |
廣瀬 清一(全国防衛協会連合会常任理事) |
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米国出張先のホテル前
出張でホワイトサンズ・ミサイル射場(ニューメキシコ州)へ行った。テキサス州に隣接し、メキシコとの国境に近い都市エルパソに宿泊。
ホーク(陸自)やペトリオット(空自)等の対空ミサイル射撃に携わった人にはよく知られた場所であるが、多くの国民は何処にあり、何をしている場所か殆ど知らない。
米国の軍用ミサイル開発に大きな役割を果たしてきた広大な射場で、徳島県の面積とほぼ同じという。遙か遠方まで続く砂漠地帯であり、果てしなく広い。ホワイトサンズ国立公園を除き、軍関係者以外は立入が制限され、わずかな軍事施設以外は何もない。西部劇に出てくるような荒涼とした光景である。
ホワイトサンズ射場の管理地域には多くの人々が従事している。ミサイル射撃を管理するレンジ・コントロールセンターには軍人・軍属・技術者等が早朝よりそれぞれの持ち場に就いている。米国の高いミサイル技術を支えている人々であろう。一つの軍事技術を開発し、維持することの難しさ、開発に必要な莫大な経費がよく理解できる場所である。
日本の国産技術の開発や技術試験、更に射撃練度向上のため、異国の荒野で人知れず黙々と働く日本人の姿や努力を多くの国民にもっと知ってもらいたいと思った。防衛上の高い保全が求められ、それは無理であろうが、これは日本防衛の第一線の一側面であると感じた。
巨大な軍事力を維持している米国社会には大きな悩みがあることも理解できた。近くにあるフォートブリス基地には、近く機甲部隊の移駐が予定され、基地拡張のため住宅の建設などの工事が進められていたが、イラクの戦場から帰った軍人による様々な事故や事件が多いという。
この基地は今日まで米国という巨大な国家の礎を支えてきた砦であったろう。今後どのような歴史を辿るのか、軍事力に対する国民の認識が日本と全く異なるこの国では、軍事力は国力そのものであると感じさせる旅であった。
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| 110号ー3 |
<ニュースの目> 中国の覇権に抗してきた日本は何処へ? |
森 清勇 (星槎大学非常勤講師) |

小沢一郎民主党幹事長が同党議員144名を含む約600人を引き連れて、昨年訪中した。胡主席とツーショット写真を撮り、万里の長城などを見て歩くだけだったという。
この時期は日米同盟にとって最も根幹的な基地問題があり、予算編成の最終段階に差しかかろうとする時でもあった。また総理や幹事長の政治資金問題がくすぶり続けていたにも拘らず、国会の審議期間延長には反対して物見遊山的な中国行きで国民を馬鹿にすること甚だしい。識者たちが「朝貢」とか〝呆中団〝と言って批判や揶揄したのも理の当然である。
中国は古来、自国を文化の中心、世界の中心と喧伝して華夷秩序と呼ばれるシステムを維持してきたが、今日の社会から見ると、黄河文明は4000年前で、それ以前にメソポタミア文明(6000年前)やエジプト文明、インダス文明(5000年前)がある。しかし、漸く国家の体を為し始めた当時の日本には、中国はガリバー旅行記の巨人のように見え、「寄らば大樹の陰」のような存在に思えたことも確かであろう。
そうした中で、聖徳太子が「日出る国の天子、日没する国の天子に書を致す。恙無きや」という文面の国書を出した勇気、いや国家を背負う責任感には感服する。執権北条時宗も元の朝貢の誘いに反発し、脅しには屈しない姿勢を見せた。
近代では明治天皇の全権大使となって条約改正のために清国に赴いた副島種臣の毅然とした外交が燦然と輝いている。副島が皇帝に謁見を申し込んだとき、何年も待たされている西洋諸国の使臣が沢山いた。中国は叩頭三拝九拝の礼を強要し、西洋諸国は立礼を主張して折り合いがつかずにいたのである。
副島は中国古代の聖賢の言葉を引用して、見識の深さで相手方を心服させた。副島の理のある主張に最も感謝したのは中国で、最初に謁見する栄誉を与えた上、副島が帰国する際には史上初の21発の祝砲で送り出している。副島の振舞いに当初は嫌悪の感を抱いた外国使臣も難問解決の外交力に感謝を表明した。
こう見てくると、日本の歴史は朝貢に抗する歴史であったとも言える。それが何時から朝貢に傾いたのだろうか。周恩来から「言必信、行必果」の書を貰った田中首相は、信頼されていると喜んだと聞くが、論語の原典では「まあまあ、ましな小人だよ」の意味で使われており、山本七平氏は中国的素養をもっているかどうかを試したのではないかという。
今や最高実力者とも見られる小沢氏が議員140余名を引き連れて訪中し、政治的難問解決をそっちのけにした握手だけでは朝貢と見られても仕方があるまい。
鳩山首相の唱える「対等」は米国に向かってよりも、平然と領海侵犯し、ガス田共同開発の約束を反故にする覇権志向の強い中国に向かって言うべきではないか。親書として、小沢幹事長に託して欲しかった。然すれば、小沢氏も現代版小野妹子に擬せられたであろうに。
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