望 映 鏡

 望映鏡は、「防衛協会会報」第1面の連載記事として、全国防衛協会連合会の正会員である地域ブロック及び都道府県レベルの防衛協会等の会長に投稿をお願いしているものです。

号番 発行日 タイトル 投稿者(敬称略)
117号 241.1.1   私と自衛隊との関わり 年初に思うこと   清水 昭允(鳥取県防衛協会会長)
116号 23.10.1   広島と自衛隊の縁   深山 英樹(広島県防衛協会長)
115号 23.7.1   苦しい時の友こそ真の友  國場 幸一(沖縄県防衛協会会長)
  今こそ会員増強を  近藤 宏章(徳島県防衛協会長)
114号 23.4.1   日本国民であることの矜持   北川聡一(兵庫県防衛協会副会長)
113号 23.1.1   自衛隊を好きな人はいい人です  竹林 武一(三重県防衛協会連合会会長)
112号 22.10.1   防衛論議をもっと活発に  河本 英典(滋賀県防衛協会会長)
111号 22.7.1   理想と現実とのはざまに立って   瀬谷 俊雄(福島県自衛隊協力会連合会会長)
110号 22.4.1   日本の未来を想う     佐々木謙二(神奈川県防衛協会会長)
109号 22.1.1   多様化する”戦闘形態”の認識を!!   安藤 昭三(大分県防衛協会前会長)
108号 21.10.10   防衛をめぐる思い   川田 達男 (福井県防衛懇話会会長)
107号 21.7.1   深化するアジアと九州・福岡    河部 浩幸 (福岡県自衛隊協力会連絡協会長)
106号 21.4.1   一人ひとりが「国防」の認識を   幡谷 祐一 (茨城県防衛協会会長)
105号 21.1.1   海軍の3人の大将  大田 哲也 (広島県防衛協会会長)
104号 20.10.1   防(さきもり)人  川本 宜彦 (埼玉県防衛協会会長)
103号 20.7.1   アメリカ・ツアー抄  簗  郁夫 (栃木県防衛協会長)
102号 20.4.1   国民の危機意識について  田村 勝己 (岡山県防衛協会長)
101号 20.1.1   中国戦線  町田錦一郎(群馬県防衛協会会長)
100号 19.10.23   自分の国は自分で守る  谷崎 博志 (和歌山県防衛協会会長)
99号 19.7.23   心に残しておきたいもの  角間 俊夫 (石川県防衛協会会長)
98号 19.4.23   帰らんか帰らんか吾が党の小子よ
             これを裁する所以
を知ろう
 仁科 惠敏 (長野県防衛協会会長)
97号 19.1.19   「国を守る」こころ  山下 直家 (徳島県防衛協会会長) 
96号 18.10.23   竹島問題と離島防衛  杉谷 雅祥 (島根県防衛協会会長)
95号 18.7.23   演習場を抱えて  萱沼 俊夫 (山梨県自衛隊協力会連合会会長)
94号 18.4.23

  静岡歩兵三十四聯隊と板妻三十四普通科連隊

 松井  純 (静岡県防衛協会会長)  

117号 24.1.1  私と自衛隊との関わり 年初に思うこと   清水 昭允(鳥取県防衛協会会長)

              私と自衛隊との関わり 年初に思うこと

                          

私の人生75年間は人との出会いから始まり、学生の時、又は社会人となってから良き先輩、又は師匠に恵まれ現在があることに感謝している。

 戦争が終わり疎開して帰った中学校でバレー部に入り、県で優勝した原動力は指導者の中川の「おっちゃん」であった。次の高校では水泳部に入り上達のコツを覚えた。先生は個人個人のタイムを覚えて居られて、少しでも悪いと柄タワシでコツンとやって、「もう一回」と言われる。一生懸命となってタイムが上がった。物事、意気込みがあがって上達するものである。

 社会に出てから、お袋が我流で詩吟をやってくれて、私も先生を見つけて門をくぐった。今、52年目になって上席師範であり、いろいろな場面で役にたっている。

 自衛隊との関わりは、昭和45年頃JC活動をやっていた時だった。私は人に誘われて良いと思う会へは積極的に入ることとしており、「企業開発クラブ」という異業種交流のサークルで先輩ばかりの会であったが、その会で知り合いになった細田さんから自衛隊の協力会に入れと声がかかり入会した。

 それは、予備自衛官制度があって、自衛官が民間企業へ就職準備をする会だった。鳥取には陸士卒の方が二人居られ、今井さんと細田さんで設立する手伝いをして始まった。昭和58年に「鳥取県自衛隊退職者雇用協議会」が発足した。少し長いが分かり易い。高卒で自衛隊に入り、3〜4年訓練を受けて予備自衛官として社会に出る就職の受け皿である。

 そして歳月が巡って、平成4年PKO活動でカンボジア派遣等が有り、大隊長の話を聞いた。イラク派遣があった時には「ヒゲの隊長」の話を聞いた中で、中四国ブロック自衛隊協力団体長会議が有る事も分かり、9年ごとに廻ってくるのでこれまで3回体験したこととなる。

 初めは使い走りだったが段々役目が重くなり、今年の5月に開催する協力団体長会議の準備を防衛協会会長という立場で今準備を進めている。

自衛隊の役割は非常に様々であるが、昨年の東日本大震災・福島原発事故をはじめ台風12号、15号などの激甚災害を教訓として、多くの国民は、自衛隊の存在感・価値観を改めて認識したところである。

中四国ブロック大会においては、これら災害時における自衛隊の活躍ぶりをPRするとともに、安全保障を考え、自衛隊の処遇改善等々議題として提出し、中四国の自衛隊協力団体長の賛同を得て、働きかけをしたいと願っている。

 


116号 23.10.1  広島と自衛隊の縁  深山 英樹(広島県防衛協会長)

                            広島と自衛隊の縁

                    

 かつて、旧陸・海軍の司令部や鎮守府を擁し軍都として発展した広島は、現在も自衛隊とのつながりが深い地域です。

 まず、広島市に隣接する海田町には、陸上自衛隊第13旅団の司令部が置かれています。第13旅団は平成11年に陸上自衛隊初の旅団として誕生し、第13師団の伝統を受け継ぎつつ、中国地方5県の防衛警備や災害派遣、民生協力に当たられています。

 3月に発生した東日本大震災に際しては、福島県に最大人員約1,500名、車両400両、ヘリコプター3機を派遣され、「福島の光明作戦」が展開されました。給水・入浴支援や瓦礫の撤去、さらには福島第1原子力発電所から半径20km圏内での行方不明者の捜索活動や放射線量の測定など、非常に困難な状況の中で、約3ヶ月間にわたる復旧・復興活動を進められました。

 一方、帝国海軍の鎮守府時代からの歴史が息づく呉市には、海上自衛隊呉地方隊の司令部、呉地方総監部があります。明治22年の呉鎮守府開庁以来、帝国海軍の主要基地となり、昭和20年の終戦、海軍省の廃止により鎮守府は閉庁しますが、昭和29年の海上自衛隊創設と同時に呉地方隊が新編され、1都1府12県に及ぶ広大な陸・海域の防衛警備に従事されています。

 東日本大震災においては、艦艇約20隻、航空機約10機、隊員約2,200名の災害派遣部隊を派遣され、捜索・救助活動や救援物資の輸送などの支援活動を展開されました。国外においても、ソマリア沖・アデン湾での海賊対処活動に向けて、呉から多くの艦艇が出港し、任務に当たっています。

 わが国周辺では、国際的なテロ活動への懸念や北朝鮮による拉致問題・核開発など安全保障上の課題が多数存在しています。また、大規模災害時における自衛隊の支援活動には、国民からますます大きな期待が寄せられています。

 我々といたしましても、自衛隊との縁を大切にし、地域住民や企業に対しまして、今後とも自衛隊の重要性の認識と国土防衛意識の高揚を図る努力を重ねて参りたいと考えております。

115号1 23.7.1 苦しい時の友こそ真の友  國場 幸一(沖縄県防衛協会会長)

                        苦しい時の友こそ真の友

                               

このたびの東日本大震災において被害に遭われた被災者の方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、1日も早い平穏と復興を心よりお祈り申し上げます。

それにしても救援活動に駆けつけた10万人以上の自衛隊員の統制の取れた迅速かつ献身的な活動にはただただ頭の下がる思いがするばかりで、日頃の厳しい訓練の積み上げと透徹した高い使命感を感じざるを得ませんでした。

 国難ともいうべき今回の大震災において自衛隊の行っている救援活動を通じて国民が自衛隊の存在をこれほど身近で頼れる存在として自覚したことは恐らくなかったのではないでしょうか。

一方米国もまた多くの大震災支援国の中で最大のピーク時約2万名の兵士、空母を含む艦艇、航空機を被災地へ派遣し、約1ヶ月に及ぶ史上最大ともいうべき日米共同による様々な救援活動「ともだち作戦」を行って同盟国としての役割を果たしてくれました。

 そして沖縄に駐留する米軍も在日米軍の一翼を担って、海兵隊を中心に5千名以上の米軍兵士が日本国民救援のためにこの作戦に参加しました。

 沖縄は今日多くの米軍基地を抱え、安全保障上或いは一般社会生活上においても米国との関係をより身近に感じるところですが、日米安全保障条約に基づく米軍基地の存在は冷戦時代を通じ長きにわたって日本の平和と東アジアの安定を守る役割を果たしてきました。

 今回は普天間基地を含むこうした米軍基地が大震災における米軍の支援基盤となって大部隊の救援活動を可能にさせた事を考えると、米軍基地の果たす役割について今一度検証する必要があるように感じ
ます。

基地移設問題や米軍人等による事件・事故の発生等沖縄における米軍は日頃から何かと厄介者として取り扱われがちですが、南シナ海に展開中にも拘わらず長駆被災地への救援に「いの一番」に駆けつけてくれた同盟国の友に対して私たちは素直に感謝の念を申し述べるべきではないかと思います。

 このたびの大震災において、国民の多くが「いざ」というとき日本を守れるのが自衛隊であることを、また助けてくれる友が誰なのかをよく認識できたはずであり、米軍はまさに”苦しい時の友こそ真の友(
A friend in need is a friend indeed.)を実践し同盟の一つのあり方を身をもって示してくれたように思います。

115号2 23.7.1 今こそ会員増強を 近藤 宏章(徳島県防衛協会長)

                           今こそ会員増強を

                               

 東日本大震災における自衛隊の救援活動は日頃から自衛隊を応援している立場として非常に誇らしいものであった。未曾有の大災害に対して、10万人体制で救援活動を展開し、捜索活動及び生活支援に取り組む姿は力強さの中にも被災者のニーズに合わせたきめ細やかな心遣いがあり、多くの国民に感動を与えたのではないだろうか。

震災から数ヶ月余を経たが、震災の日の光景は未だ脳裏に焼き付いている。何気ない日常風景が津波に飲み込まれていく様は、古来より何度も南海地震による津波被害を受けてきた徳島に居住する者にとっては決して他人事ではない光景である。周知のとおり、近い将来に東南海・南海地震の発生が予想されている。いつか我が郷土が津波によって甚大な被害を受けるのではないかという不安は増すばかりである。そのような不安を払拭してくれるのは自衛隊しかないと確信している。平成24年3月に徳島県阿南市に陸上自衛隊の駐屯地の開設が予定されている。徳島で陸上自衛隊の駐屯地ができることは初めてのことであり、県民にとっては待望の駐屯地開設である。しかも災害派遣で大いに力を発揮してくれる施設部隊が移駐することは非常に心強いことである。今後も防衛協会の会員増強を推進し、新駐屯地が円滑に徳島に根付いていくよう、積極的に協力していく所存である。また、全国的な視野においても震災により、防災への意識が高まった今こそ、会員増強を推進し、自衛隊への協力基盤の育成に努める時ではないだろうか。

 国際情勢においても、多くの不安が依然として残っている。北朝鮮による拉致問題はいまだ未解決のままである。また、軍事力拡大を続ける中国に対して、多くの国民は不安を感じている。このような時代だからこそ国民の自衛隊への期待も増しているのだろう。自衛隊がこの期待に応えられるよう、防衛協会は支えとしての役割を担わなければならない。

 最後になったが、災害派遣活動で大活躍された隊員及びその隊員を後方で力強く支えてこられた隊員の方々に、心からの感謝と敬意を表して擱筆とさせていただきたい。


114号 23.4.1 日本国民であることの矜持 北川聡一(兵庫県防衛協会副会長)

                      日本国民であることの矜持

                              

 昨年、日本が最も沸き立ったできごとの一つに小惑星探査機「はやぶさ」の帰還がある。7年間の長期に亘る飛行に耐え、次々と発生したさまざまな困難に打ち勝ち、約60億キロの距離を踏破して、世界で初めて月以外の天体の物質を持ち帰ったのである。
 日本の科学技術の高さや工業製品の信頼性に加え、プロジェクトを支えた人々の粘り強さや団結力、更にはプロジェクトリーダーの強い意志に多くの日本人が感激すると共に、日本国民であることに誇りを感じたのではないだろうか。


 
その対極として大きな失望を呼び起こしたのは、尖閣諸島付近における海上保安庁の巡視船と中国漁船との衝突事件であり、その後に引き続いた映像流出などの一連の騒動が話を更に複雑にした。
 これはある面では日本人の目を覚まさせた事件とも言えるが、やはり対処にあたっての外交上の拙さが際立ったというのが大方の評価であり、その経過は耐え難いものであった。
 また、この事件と並行して中国国内で日本企業の社員が不可解な拘束を受けるという外交問題が起こったが、そのタイミングといい、決着の仕方といい、誠に後味の悪いものであった。

 この二つの出来事から感じるのは、国家の繁栄をドライブするのは、科学技術に裏打ちされた経済活動であり、また国家存立の前提として安全が保障されていなければ、安心して経済活動はできないということである。安全保障と経済活動の両輪が揃ってこそ、日本国民としての矜持は保持されると考える次第である。

ところが、この安全保障への危惧を感じさせるような事象が最近頻発している。領海侵犯を始め、朝鮮半島情勢の緊迫や北方領土問題など枚挙にいとまがない。
 しかし、ここで大事なのは日本国民を代表し、矜持を持って正当な主張ができるリーダーシップの存在である。

 しかるに領土問題を例にとっても、古文書の記述を諸外国が理解してくれるであろうという、いわば他力本願的な内向きの説明が幅を利かせている。
 そのような論理を振り回した時点で、外国との論争に負けているといわざるを得ない。やはり、現在進もうとしている進路を諸外国に向けてアピールできるリーダーシップが安全保障の維持に求められるのであり、経済活動と国民の安全保障に対する意識がリーダーシップを支えているのである。

 防衛協会としても日頃の活動を通じて、安全保障に対する意識の向上を図り、その結果として日本国民の矜持が醸成されていくことを望んでいる。

113号 23.1.1 自衛隊を好きな人はいい人です 竹林 武一(三重県防衛協会連合会会長)

                    自衛隊を好きな人はいい人です

                              

 三重県防衛協会連合会会長に就任して3年になります、その間世間ではいろんな動きがありました。

 特に今、大きな時代の転換期にあると思います、その中にあって日本をとりまく安全保障環境としては北朝鮮の核や弾道ミサイルの問題、周辺国の軍備増強、尖閣諸島領土問題、海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突問題、普天間基地移転問題等があります。

 そのような私の手におえない大きな問題を「意識の問題」と捉え県防衛協会会長として、「防衛意識の高揚」、「防衛基盤の育成強化」、「自衛隊の活動支援」を目的とする当会の活動に、私は県民をあげての協力を期待するとともに、微力ではありますが尽力したいと思っているところです。

 兼ねて「自衛隊協力会三重地本友の会」の会長をお引受けして14年、自衛隊の新しい力としての新隊員の募集に関し、大きな力を発揮していると自負しています。

 三重県内には陸上自衛隊久居駐屯地をはじめ航空自衛隊白山分屯基地、航空自衛隊笠取山分屯基地、陸上自衛隊明野駐屯地を有し、周年記念事業、見学会、各種大会等数多くのお誘いを受け隊員のキビキビとした凛々しい行動を目のあたりにして頼もしいと思うとともに、我れ人生意気に感じています。

 本文の表題としました「自衛隊を好きな人はいい人です」という言葉は、県内の自衛隊入隊予定者激励会において3年前に発して以来、いつも言っている言葉です。

 この言葉は、これに終わるのではなく「自衛隊を好きな人はいい人です 自衛隊を嫌いな人は悪い人です」と言っているのです。この言葉のひびきが入隊予定者の心を拓き、自信を覚え多くの人に励まされていることに気付くのではないでしょうか。

 父兄、家族、友人に自分が選んだ道を誇りに持って伝えてくれるのではないだろうかと私はそう思っています、入隊予定者激励会のみならず自衛隊成人式、入隊式、新年会、友の会総会等でも話しています、「あの言葉は最高です」とか「自衛隊内外ともに背筋がピンとします」とか「三重県防衛協会連合会はじめ自衛隊協力会、団体のテーマソングですね」と言っていただく人もあります、本当にそうなのだろうかと耳を疑っています、しかし私は喜んでいます、そのような言葉を聞くたびに何も知らない私が県防衛協会会長を引受けましたことは本当に良かったと思う今日このごろです。

 自衛隊は「日本の防衛」「災害復旧支援」「国際貢献」という大きなミッション(使命)があり、これが実行されることで我々国民が安全と安心が確保されているのだと思います、今それが忘れられているのではないでしょうか。

 今後さらに国民の安全保障に対する意識が高まり各協会、団体が活発に活動されることを期待します、おわりに各協会、会員各位のご多幸を祈念し終りとさせていただきます。

 我れ人生意気に感ず

112号 22.10.1 防衛論議をもっと活発に 河本 英典(滋賀県防衛協会会長)

                      防衛論議をもっと活発に

                            

昨年の総選挙で政権交代が実現し正に戦後政治の終焉を感じ、大きな時代の転換点だと期待と不安を膨らませたところである。防衛問題も過去のタブーとしてきた歴史的経緯の呪縛から抜け出し、将来を見据えた国民的論議を活発に行うべき時にきたのではないだろうか。

それにしても沖縄の普天間基地問題の取り扱いでへまをして総理大臣を辞した鳩山さんの迷走ぶりには呆れた。この時不思議に思ったことは、マス・メディアによる報道内容のことである。この時の米軍基地問題は沖縄県の問題であることと同時に、国家全体の安全保障、国土防衛に関する重大な問題なのである。経済を含めた日米同盟、国家の大方針である日米機軸に関する大問題なのである。しかしながら、こうした本質的、根源的視点を置き去りにして、沖縄県の反対運動ばかりを報道し、一地域の民意(本当は一部の民意)とマニフェストにこだわり続けた総理の迷走ぶりをただただ面白おかしく報道するだけであった。本来の論議をタブーとして封じ込め、過去に沖縄基地問題、安全保障問題の本質的論議を避けてきたマス・メディアの姿勢がよく表われ、奇異に感じたのは私だけではなかったはずである。

憲法9条の解釈で自衛隊は憲法違反かどうか。戦力とは何をさすのか。はっきりしないまま、意見の対立したまま放置されてきた。非核三原則の問題もアメリカの核の傘の下にいながら核を排除するという矛盾についても論議されていない。核アレルギーについても同様である。核アレルギーは一種の病的症状であるが、病的症状は正常ではないのだから正さなければならないはずだが、わが国の現状では核アレルギーは正常な感覚であるかのごとく認められ、核アレルギーを反省するような論議は避けてきた。

影響力の広いマス・メディアはほとんど同じように防衛の重要性を説くことをせず「住民の利益」や「公害被害者」に同情することで通してきた。そのことが平和に寄与し正義を尊重するのだと信じているのである。本当に大切な問題をタブーとして避けてきたのがここに至る現在の日本社会の曖昧さであると
思う。

今後こうした防衛問題の論議をもっと高める役割を防衛協会は担わなければならないのではないかと最近特に思うようになってきた。時代に応じた行動が求められるいまこそ応援団としての防衛協会の役割は重要だといえるのではなかろうか。

111号 22.7.1 理想と現実とのはざまに立って 瀬谷 俊雄(福島県防衛協会会長)

                    理想と現実とのはざまにたって

                               

本稿を記すにあたり、改めて日本国憲法を再読、そして三思。その上で筆を執った。

まず憲法の前文であるが、これ自体は、いわば究極の理想主義を網羅したものと断じてよい。 特に抵抗を覚えるのは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との一節である。

さて翻って現実の世界をみると、覇権国家、あるいはテロ国家、はては国家と稱しがたいならず者国家が犇めいているではないか。

信義・誠実の一片のかけらもない。これみよがしの厖大な軍事力の誇示もあれば、核兵器開発への動きをブラフに使う国もある。ソマリア如きは海賊国家ではないか。 正に百鬼夜行であり、自国の権益、あるいは宗教国家においては、自派の信条のみが唯一正義とも思わる如き国々が存在する。

この事実を平和主義者(PACIFIST)はどう考えるのであろうか。 とすれば我が国の憲法前文が、いかに現実から遊離した空想的な理念であるか(敢えて云えば漫画的、児戯に類する)、自明の事ではないか。 理想は所詮理想であって永久に達成された例がない。

より具体的に申せば、万一我国が武力侵攻を受けた時、どの国が自国民の血を流してまで日本を守ってくれるのだろうか。

「公正と信義」左様な抽象論で第三国が日本のために武力行使に踏みきるであろうか? 国際社会の基本的な行動原理は国益であり、更に云えばPOWERである。

 さて我が国の眞に憂ふるべきことは、財政危機を指すのではない。いつまでも現実から目をそらし、一時期はECONOMIC ANIMALと揶揄され、スランプとなると右往左往、日本人としてのIDENTITYを見失った国民の姿こそ恐るべき事柄ではあるまいか。 この国のかたちをどう再構成するかの「志」の欠如ではないか。 海外派兵についても、国内の防衛についても、使用する武器を限定する?機関砲はよいが、ミサイルは駄目とは笑止のいたりではあるまいか。 「非核」のテーゼはよいとしても、所謂、通常兵力は国力に相応せる軍備をととのえるべきではないか?

そして平和ボケした国民に、これらの背景を十分認識させ、改めて自衛隊を軍隊として憲法上に明記、国軍の志気を高揚させるべきではないか。 現実と遊離した現憲法を現実に即し、改正することに与論を喚起すべきであろう。

110号 22.4.1 日本の未来を想う 佐々木謙二(神奈川県防衛協会会長)

                           日本の未来を想う

                               

今年の2月11日に横浜市内で「神奈川自衛隊音楽まつり2010」が開催されました。4月に入隊・入校する予定の県内若人の激励会と合わせて世界の平和と安全に貢献する自衛隊をご理解いただく場としての祭典で、私も主催者である自衛隊神奈川地方協力本部支援団体協議会の代表として出席しました。

海上自衛隊横須賀音楽隊、少年工科学校ドリル部、防衛大学校応援団リーダー部、武山自衛太鼓のほか、横浜市消防音楽隊ポートエンジェルス119、在日米陸軍軍楽隊のご出演もいただき大盛況の中に閉会となりました。

プログラムの第1部で全員起立の上紹介された、入隊・入校する予定の県内若人とそのご家族の晴れやかで誇らしげな顔、同若人代表による力強い謝辞、第2部での音楽隊等のきびきびした動きと見事な演奏・演技に、満場の皆様は大喝采でした。

二年前のリーマンショック以降、景気低迷からなかなか抜け出せず何かと暗い話題が多い我国ですが、そうした若人、自衛官を拝見して、我国でも多くの人達が、国を支え・守り、次の世代をきちんと育てていこうとしている姿に大きな感銘を受け、将来に確たる安心と明るい展望を感じた次第です。

ところで、神奈川県には旧海軍の横須賀鎮守府が置かれ軍港として発展した横須賀港があり、現在も海上自衛隊横須賀地方総監部が置かれるなど、海上自衛隊とは因縁浅からぬものがあります。

昨年12月には、自衛隊神奈川地方協力本部長に着任された1等海佐の表敬訪問を受けましたが、同氏は第一次ソマリア沖海賊対処部隊の司令として、昨年3月から8月までアラビア海に派遣され、アデン湾を航行する船舶を警護する任務を果たされた方です。お話を伺うと、派遣された当初は未だ海賊対処法も成立しておらず、警備、護衛活動には色々な制約もあったけれど、その中で、どのような事態に直面しても対応できるように訓練だけは徹底的に実施したとのことで、幸いにも5ヶ月間の警備活動の期間中、1発の銃弾を撃つこともなく、数百隻の船舶を護衛航行できたとのことでした。

私は、そうした方たちに、派手で見栄えばかり追求する風潮とは無縁な、鍛えられ育った人間の一つの典型を見たような気がしました。

また、昨年4月から9月まで横浜港周辺で横浜開港150周年記念イベント「開国博Y150」を開催しましたが、期間中、自衛隊には大変なご協力をいただきました。航空自衛隊のブルーインパルスの展示飛行、大桟橋に接岸した砕氷艦「しらせ」とイージス艦「きりしま」の展示公開、防災訓練の一環としてヘリコプター搭載新型護衛艦「ひゅうが」の公開等です。いずれも大好評で、見学者も多数来場されました。担当自衛官の日ごろの訓練振りが垣間見える、優しいながらも折り目正しい応対に、国民とともにある自衛隊を実感しました。

 以上、私が自衛隊の皆さんに様々な場面で接して感じたままを書かせていただきました。私ども民間会社でも「組織は人なり」で社員研修等により人材育成に力を入れておりますが、厳しい状況下、組織力で行動する自衛隊は、教育訓練の成果が場合によっては生死に関わってくるだけにそれがさらに徹底されるのだと思います。いずれにしましても、中国を始めとしたアジア諸国の発展・台頭と比較して安定期に入ったかのように見える我国ですが、将来を担う人材が着実に育ちつつあること、また真面目に職務に取り組む多くの人達が国内外で危険を顧みず活動していることを知るにつけ、この国の未来に大きな希望と可能性を感じるものです。(神奈川県商工会議所連合会会頭)

109号 22.1.1 多様化する”戦闘形態”の認識を!! 安藤 昭三(大分県防衛協会前会長)


                    多様化する”戦闘形態”の認識を

                                

多様化する”戦闘形態”の認識を!!

 かねて注目された衆議院議員選挙は民主党の圧勝となり、1955年以来実質的には、初めてと言える政権交代が実現した。鳩山民主党政府となり、すでに種々の新政策が提示されつつあるが、一般的な国内政策、農業政策、中小企業対策、医療、年金労働政策等々については、政党の色合いによって政策の重点の置きどころが変る事は、いわば政権交代に伴う必然の事であるとも思われる。

 しかし、こと外交政策及び安全保障政策については、日本と諸外国との利害に重大な影響を与えるものであり、いやしくも、党利党略によって左右されるべきでないのは言うまでもない事であろう。特に、日米の安保関係が我が国の存立と安全にかかる基本的重要性を持つことは論を俟たないところであり、政権交代の有無に拘らず、これが堅持は必須の事柄である。

 幸い新内閣も基本的には良好な日米関係の維持を最重要の事と言明しているので、是非これの維持発展に努めて貰いたい。一部の人気取りや雑音に惑わされて信を内外に失う事のないよう切に希望したい。

さて、しかしながら内外の情勢はオバマ大統領にとっても、鳩山新首相にとっても、かなり難問累積といった感がある。2001年の9・11同時多発テロによって21世紀の国際紛争が、従来の軍事思想や軍事技術では対処し切れないものがある事が示され、その後のイラク、またアフガニスタン情勢の展開をみても、一朝一夕で簡単に終息する様子でない事も見て取れる。嘗ては強大な機械化軍団と航空兵力、ミサイルをもって沈静させた相手は、ゲリラ、テロ等の手段をもって抗戦し容易に沈静化しない。

 21世紀の国際紛争は戦闘の形態が一層多様化し、いわゆるRMAと非対称型の戦いの様相を現出してきた。我が国も国際的連帯の上に紛争の確実な安定化を図るよう、従来の枠と観念を超えた努力と準備をしなければならない。防衛省の方々をはじめ、防衛に関係する人々の一段の認識の深まりと実践的努力を祈ってやまない。

108号 21.10.10 防衛をめぐる思い 川田 達男(福井県防衛懇話会会長)

                              防衛をめぐる思い

                                   

今年の秋からNHKスペシャルドラマで「坂の上の雲」が放映される。伊予松山に生まれた三人、正岡子規と秋山好古、秋山真之兄弟を軸に日清、日露戦争を舞台にした壮大な物語である。放映は第一部、第二部、第三部と分けて、3年にわたっての大掛かりなものになるという。書店に並んでいる文春文庫の価格は求めやすいものの、全8巻、総ページ数は3000ページを超える長編だ。

この司馬遼太郎の代表作とも言える作品を、私は今読み返している。経済人としての私にとって、経営のヒントとなる記述が随所にあるからだが、理由はそれだけでない。

昨年、防衛大学校校長の五百期頭真氏をお招きし、お話をお聞きする機会があった。その時、氏は「私は防衛大学校の7月、8月の訓練と夏休みの間2ヶ月で学生達に『坂の上の雲』全巻を読み上げる様に薦めている。そして、読んでいるうちに面白くなって最後まで夢中で読んだということになれば、君たちの知的キャパは一生大丈夫だ。幹部自衛官としての知的キャパの計り方は色々あるが、長い大きな構成を持った本を夢中になって読んだということ、その一つをもって君たちの知的キャパは大丈夫だと彼らに言っている。思考力と全体的な判断をどうするかという場合には、大きな本を読みきるという能力に非常に関連が深い」と語っておられた。

私は防衛問題には素人であるが、防衛にはこの思考力と全体的な判断力が大切ではないかと考えている。たとえば、防衛といえば軍備を連想するが、軍備は実際に行使する目的で持つと短絡的に考えることは適切ではない。軍備の目的は外交の場面で相手から見くびられないようにするため、言い換えるとそれを実際に使わずに済むようにする抑止力として保有するものだと認識されているからだ。つまり、軍備を背景とした思考力と全体的な判断力が求められることになる。

さて、最近の日本を見ていると、全体的に内向きになっているような気がしてならない。昨年来の100年に一度といわれる不況のせいか、国民も内向きの話題を好むようだ。身近な問題に関心を持つことがいけないといっているのではない。人間として当然のことだとは思うが、ただ、そういうことが許されるのは日本の防衛、安全保障、外交が我々の目に見えないところで機能している証左だということに思いをめぐらす必要はあろう。

今我々に必要なのは「私を思う心」ではなく「国を思う心」といっていいかもしれない。「坂の上の雲」には日本が世界にデビューする頃の日本人の国を思う心が存分に溢れている。

国を思う心は国内だけに関心を示していたのでは生まれてこない。なぜなら、世界のパワーバランスの中でわが国を位置づけ、その中でわが国のあり方を求め続ける努力が不可欠だからだ。直接、間接を問わず防衛(を因果とす)に関わる問題は複雑だが、私たちは思考力と全体的な判断力を常に涵養し、その都度その都度の最適解を見出すために努力していく他に道はないのではないかと考えている。(福井県商工会議所連合会会頭 )

107号 21.7.1 深化するアジアと九州・福岡  河部 浩幸 (福岡県自衛隊協力会連絡協会長)

                   深化するアジアと九州・福岡

                               

九州・福岡は、古くからアジアとの交流が盛んに行われていた。私が住む福岡市は、東京から約1,000km離れているが、一方で、韓国の釜山までが約200km、ソウルが約600km、中国の上海が約1,000kmと、日本の中では東アジアの主要都市と近い距離にある。こうした地理的な近接性もあって、近年では、成長著しいアジアと九州・福岡とのつながりが経済面でも強くなってきている。

残念ながら、直近の日本経済は、昨年からの世界的な金融危機の影響を受けて、100年に一度といわれる急激な景気後退に見舞われている。政府も景気対策を打ち出すなど懸命だが、九州・福岡の景気も厳しい状況が続いている。

私は、福岡商工会議所の会頭として、また九州、福岡県の商工会議所連合会の会長として、各地の厳しい状況に直面することがよくあるが、とりわけ地域経済を支える中小企業の方々の多くが日々の経営に苦労されている。
 商工会議所では、こうした中小企業向けの金融・税制などの支援策とともに、地域経済の活性化策などの要望活動を行うことが増えているが、こうした要望の中には、空港や港湾、鉄道、道路といった交通インフラ整備の促進が含まれている。
 背景には、冒頭にも書いたように、成長著しいアジア市場を睨んだビジネスや観光の促進を起爆剤に地域経済を活発化させようという思いがある。
 2011年春には、九州新幹線鹿児島ルートが全線開通し、博多〜鹿児島中央間が1時間20分で結ばれるようになる。
 これを契機に、九州地域の一体的な発展と九州域内外の産業経済、文化、観光など多岐にわたる交流が更に増大することを期待している。

九州・福岡の成長には、アジアとの共栄が欠かせない。幸い、アジアの国々も九州・福岡に注目している。
 今年に入り、韓国の李明博大統領やベトナムのノン・ドゥック・マイン共産党書記長などとお会いする機会があったが、ともに九州・福岡との経済交流の促進を期待しており、両者が交流を深化させていくための取り組みを連携して行っていく環境は整っている。あとは、我われがその労を惜しんではならないと思う。

最後に、近年の日本を取り巻く国内外の情勢は、テロや自然災害など様々な脅威に直面している。4月には北朝鮮がミサイルを発射したが、九州は朝鮮半島に近く、わが国防衛の重要な拠点となっている。
 また、台風などの自然災害も多い地域だが、こうした中、人命救助や物資の輸送など、自衛隊の勇敢で迅速な対応は、非常に心強く感じている。
 私ども福岡県自衛隊協力会連絡協議会では、こうした自衛隊の地域に大きく貢献している活動をPRし、より多くの企業、住民の方々の理解を深める努力をしていきたいと思う。

(福岡県商工会議所連合会会長)

106号 214.1 一人ひとりが「国防」の認識を 幡谷 祐一 (茨城県防衛協会 会長)

                     一人ひとりが「国防」の認識を

                              

最近の報道では、ソマリア沖の海賊に対し日本も本気になったとのことで、海上自衛隊が現地に派遣されるという記事が紙上を賑わしました。銃器の使用制限も緩めたようで、まずは良い方向に向かっていると感じています。

但し、自衛艦に海上保安庁の職員が乗り込むようです。これは司法権があるとのことですが、自衛隊員にも同様の権限を与えれば、このような二元的な、小手先の対応をすることもないと思います。多くの有識者がこの矛盾について判っている筈なのですが、積極的に発言しないことに強い失望を感じています。

本音を言えないのが日本の実情ですが、国のらかなることを願い、国益を守り、国民に安心感を与えることが政治の要諦だと思います。然るにわずか20文字足らずの憲法の条文によって専守防衛も出来ない状態です。敵を射撃するにもいちいち総理大臣の許可を取ってからでないとできないなど、全くお笑いです。

日本は世界の五指に入る戦力を持っており、自衛隊員の皆さんの士気も高いと言われておりますが、残念ながらこれを十分に発揮できる状況にないと言えます。

今の時代は戦争の形態は大きく変わり、いざ戦となれば前線も国内も安心してはおれません。政治家も国を憂えることに本気になってくれることを望んでおります。

戦後、憲法改正をした国は世界中に及んでおります。記録によると米国は13回、西ドイツは43回とも言われております。千年も万年も今の憲法を守っていくという人達の顔が見たいものです。

護憲もよいけれど、国を守り、国民の生活を守り、また財産を守ることなど蚊帳の外のことになっていると言えます。敗戦後60年が経った今も何に怯えているのか、誰も本音を言えません。

勝者が敗者を裁いた東京裁判も不都合千万であります。多くの識者もこの裁判に対して勇気のある発言をしていません。

平和ぼけもいいところであり、日本国は独立国の体を成しておらず、ある意味で世界の笑いものになっていると思います。

山本五十六海軍大将は「百年兵を養うは平和維持の為なり」という名言を残しております。日本という国家が、そして日本国民の一人ひとりが、国防ということに更に認識を強くしてくれることを望んでおります。

(茨城県中小企業団体中央会会長)

105号 21.1.1 海軍の3人の大将 大田 哲也(広島防衛協会会長)
              
                           海軍の3人の大将

                             

終戦までの広島市並びに呉市は、ともに旧陸海軍の軍都として、師団司令部、鎮守府が各々置かれており、軍関係の教育機関についても陸軍幼年学校、海軍兵学校が存在し、多くの英才がその門をくぐってきた。

こうした関係から広島県出身の将官については、陸海軍ともに多数輩出しているが、こと大将については陸軍が岡部(おかべ)(なお)三郎(さぶろう)大将の一人。海軍は、加藤(かとう)友三郎(ともさぶろう)大将(死後元帥府に列せられる)、谷口(たにぐち)(なお)()大将、小林躋造(こばやしせいぞう)大将の三者があげられる。

加藤友三郎大将は、日露戦争の日本海海戦において戦艦三笠艦橋で連合艦隊参謀長として東郷平八郎司令長官とともにあり、後に呉鎮守府司令長官、第一艦隊司令長官を歴任後、海軍大臣となり大正10年ワシントン会議の全権代表として軍縮を実行。大正11(1922)には、広島県出身としては初の内閣総理大臣に就任している。

 谷口尚美大将は、昭和3年に連合艦隊司令長官に任命され、昭和5年軍令部長に就任。同年のロンドン海軍軍縮条約の批准に向けて海軍部内の調整にあたった。謹厳実直の人柄で海軍の良識派を代表した一人と評価されている。

 小林造大将は、加藤友三郎大将の甥にあたる。昭和2年のジュネーブ軍縮会議では主席随員として、昭和5年のロンドン海軍軍縮会議でも艦政本部長として条約締結に努力している。翌昭和6年に連合艦隊司令長官に任命されている。

三提督ともに軍縮のバトンを繋いだ名将であり本県の誇りであるが、このたび加藤大将・首相を顕彰する銅像が復元され、没後85年にあたる平成20年8月24日に除幕式が開催され、私も出席させて頂いた。

 銅像は、もともと広島市中区の比治山公園内に建てられていたが、戦時中の金属回収令で取り除かれ台座のみが取り残された状態にあった。

 平成18年2月に発足した「加藤友三郎銅像復元会」有志による募金活動の成果により、広島市中区の中央公園内にワシントン軍縮会議時のフロックコート姿の銅像が新しく建立されたものである。銅像の顔からは強い意志がうかがえ、軍縮に文字通り命をかけた人柄が偲ばれる。(広島県商工会議所連合会会頭)

104号 20.10.1 「防(さきもり)人」 川本 宜彦氏 (埼玉県防衛協会会長)
                            

                             防(さきもり)人

                             

平成20年5月6日は読売新聞の一面トップに「非常識110番増加」の記事が目を引いた。一面トップに経済や政治以外の記事を出した読売新聞の社会意識が現代の問題を露呈したと考えられる。この記事は公的機関、直言すると公的権力の私物化という問題なのだが、今までの私物化とは質が異なっている。今回私物化したのは、マスコミが擁護すべき不特定多数の一般市民だったのだ。この一般市民は匿名性を持ち、さらに弱者の立場をとれる大変やっかいな存在である。

 内容については、ここに書くのもばかげているが「雨が降ったから家まで送れ」「旅行に行くので犬にえさをやれ」「携帯の料金が高い」などということで110番をするのだ。これらはモラル、要求、苦情、甘え等、個人の存在をあらゆる面から正当化させることに警察を使うということである。

 警察頼れば何とかなるという考えは、実は「先生に」「救急車に」「役所に」と置き換えられ、学校や医療現場などではすでに日常化さえしている。公的な機関をサービス業と見なすように民意を変質させてきた戦後の民主主義はすばらしいと評価する一方、大変な危険もはらんでいることを忘れてはならない。

 この110番の記事に続き、数日間にある種の同質な記事が見られた。「イエメンの旅行で、危険勧告を無視して誘拐された観光客」「少数住民の苦情によって十数年続いた東関東最大級のフリーマーケットの中止」「小学生が卒業式前に自殺をした。その信号を学校は見落としたということへの学校側の謝罪」

 新聞の論調とは常にこのように弱者の立場からの視点を持っている。しかし警察を私物化する一般市民という事態は、弱者が匿名性の権力を握るという構造になってはいないだろうか。医療にしても教育にしても弱者への過擁護はすべての国民が責任回避、他人任せの発想を持ち、次第に国家が脆弱化すると考える。

 日本人の多くが考える国家の充実、安定、平和、といった政治政策の希求は国家としての集合体ではなく個人の保身、安全、高質の生活に向けられているように思う。全体主義に戻れと言うのではない。常に主体は個人であり、その個人の倫理観を共通した「国家観」にまで育てる必要があると思うのである。最高の危機管理、防衛システムとは言ってもそれを運営するのは人である。そこには「人のおろかさ」も存在することを認めなくてはならない。教育によってきちんとした「国家倫理」を紡ぎ続ける事だけが、人の愚かさを吸収する最大の防衛であると考える。

 中国宋代の蘇軾は「天下の患は其の然るを知らずして然るより大なるはなし」と言っている。世の中に心配事は多いが、その最大のものは、そうなる原因に誰もが気づかないうちに状態の悪化が進むことである。国家倫理や、道徳の話題を、直ちに軍国主義と結びつける発想は卒業しようではないか。

()埼玉県商工会議所連合会会頭、(株)サイサン取締役会長)

103号 20.7.1 アメリカ・ツアー抄  簗  郁夫氏 (栃木県防衛協会長)


                     赤ゲット アメリカ・ツアー抄

                             

 とりわけ趣味の無い私の楽しみの一つは、旅行である。内外を問わないが、海外旅行は未知との遭遇と、人々の交流にワクワクする。殆ど仕事に絡む視察旅行であるが、気がつくと、いつの間にか、5大陸を掠めたようである。

 初めて海外に出たのは、アメリカ施政権下の沖縄を別として、昭和40年(1965年)のカリフォルニア州・流通業の視察である。アンカレッジ経由でサンフランシスコに入り、ゴールデンゲート海峡を目にした時、万延元年(1860年)の咸臨丸の壮挙や、明治4年(1871年)の岩倉具視一行の外遊の第一歩に思いを馳せた。

 バスでサンディエゴまで南下し、広大な土地を肌で実感するとともに、アメリカの消費文化に直接触れ、その物量に圧倒された。

 どの訪問先企業でも、兄貴分のようなおおらかな姿勢で対応して頂き、感謝一杯であった。勿論、当時の企業見学は無料であった。最近の企業視察が有料が当たり前であることを考えると、彼我の立場の変化を痛感している。

 ニューヨーク郊外のIBMワトソン研究所を訪問する機会があり、在籍中の江崎玲於奈博士にお目に懸かれた。

 博士の話では、欧米はもとより、イスラエルやトルコなど中東を含めて、世界の頭脳が集まっていると伺い、アメリカの懐の深さと、競争力優位の源泉を思い知らされた。3年前、シカゴのITT(イリノイ工科大学)大学院卒業式に出席したが、中国人やインド人が目立ち、未来の潮流を垣間見る思いである。

 開通して間もない、全自動運転のBARTBay area Rapid Transit・サンフランシスコ高速鉄道)にのって、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)を見学した時、図書館で600万冊所蔵(研究室分を含む)と聞かされた。当時、我が国で新築中の国立国会図書館の収蔵目標は700万冊であり、規模の差を感じた。

 振り返って、アメリカ訪問州を数えてみると、約半数となり、東西南北に及んでいる。テキサス独立戦争のアラモ砦(サンアントニオ)、ヘミングウェイの愛した最南端都市キイウエスト(マイアミ)や、マルティグラ・カーニバルを楽しんだニューオリンズ(ハリケーン・カトリーヌによる大被害には心が痛む)など一つ一つの場所に思いでは尽きない。

一方、ホテルや航空機のダブルブッキング、手荷物のピックアップ忘れ、乗り継ぎ便への駆け込み等、ハップニング酒の上での失敗も事欠かない。

 今では吸わないが、30年前はヘビースモーカーであった。メーン州でアメリカーと言われるロブスターを堪能し、ニューヨークへの帰途、喫煙席に陣取ると、隣は上品なご夫人であった。禁煙のサインが消えても、隣席に遠慮して煙草を取り出せなかった。遂に我慢ができなくなり煙草を取り出すと、同時に隣のご夫人も煙草を取り出すところで、互いに顔を見合わせて笑い出した次第。お陰で、下手な英語で楽しい会話が弾み、退屈しないですんだ。

 寄る年波で、ノンストップの長距離飛行は苦手となったが、まだまだ世界を駆け巡りたいと願っている。

(栃木県商工会議所連合会会長)


102号 20.4.1 国民の危機意識について  田村 勝己氏 (岡山県防衛協会長)

                        国民の危機意識について

時代の激動変化する今日であるが、昭和58年10月、日本市民防衛協会主催のヨーロッパの核・防災シェルター視察ツアーに参加した。実質8日間真面目にスウェーデン・西ドイツ・スイス各国の民間防衛施設を視察した。

スウェーデンはシェルター5万5千個が確保され、当時の人口850万人内600万人収容出来る。住宅・工場・学校・病院・企業・地下鉄等の公共性のある建物にはシェルターの設置を義務づけた。

 その費用は全額国が負担し、将来全国民の人口分を確保する計画だという。有事の際は警報をサイレン・テレビ・ラジオ等を通じて発令する。住民がシェルターに避難するまでに、3分から4分で非難出来るように配置する。

ストックホルム市中央駅の正面にクララ教会があり、その地下には一万五千人収容出来るシェルターがある。通常は駐車場としているが、有事の際は近くの市民や通行人が避難する。しかし、突然に数千人規模の人が避難すると誘導が難しい。群集心理によりパニック状態で混乱することも懸念されるため原則的には、身近なところに百八十人以下のシェルターをつくるという。

民間防衛の目的は、有事及び災害時の人命救助と保護にある。防衛組織は、十六才から六十五才の国民の参加を義務づけている。

全国を地域別に区分し、中央指令部、地域指令部を設置して警報・避難を指令し、一般市民に通報される。消防、災害救助、民間防衛を一体化した統合組織とし、機能化することが重要という。

その他シェルター内の設備、地下発電、換気設備、汚染空気の浄化及びフィルター、発電用の油、貯水タンク及び井戸水の施設、食料や各種生活に必要なものが貯蔵されている。室温十五度確保、防爆扉、空気汚染、病院機能等、あらゆる角度から研究され人命救助に万全を期している。

その他、西ドイツ・スイスのシェルターを視察した。

 小子の申し上げたいことは、シェルターの数とか機能とかではなく、視察を通じて最も感じたことは、国民の危機意識の高いことである。

金美齢氏の講演で(にて)、「東京に何年ぶりかでやって来た台風の中、多摩川の中州から救出されたホームレスの男がいました。後日、テレビのインタビューで『あれだけ避難せよと呼びかけられたのに、どうして避難しなかったのか』と聞かれたときに、彼は一言『大丈夫だと思っていました』。これが今の日本人の平均的なメンタリティーです。危機管理ゼロ。日本の将来は危ういと私は思っております。」

以上の様な一節がありました。まさに危機意識のない日本人となってしまったと小子は思う。

 日本国の防衛は日本人で守り、自分の身は自分で守ることを基本としなければならない。要は、人間としての危機意識は万国共通であり、我々一人ひとりが愛国心を持って、国家の安泰のために危機意識を持つべく日々努力をしたいと思うこのごろである。    

(日本植生褐レ問、日本会議岡山議長)

101号 20.1.1 中国戦線  町田 錦一郎氏 (群馬県防衛協会会長)

            ”中国戦線” 広州・武漢三鎮を訪れて

                             

昭和13年6月

カラカラに乾ききった土手を、負傷した戦友を背負って兵隊が駆け下りてきた。徐州攻略戦だった。

 子供の頃、友達と村の神社で遊んでいると、鳥居の向こうから一人の復員兵が歩いて来た。その人は北支に出征していた前の家の長男だった。汗とほこりにまみれた戦闘帽に軍服を着て、ボロボロの背嚢を背負い、ほころびた巻脚半に軍靴をはいて、一歩一歩社殿に向かって歩いて()のを、子供達は遠まきにして不思議そうにじっと見ていた。賽銭箱の前で停止すると、突然軍靴を鳴らし不動の姿勢をとって挙手の礼をした。そのまま顔を動かさずに何秒かが過ぎていった。肩がかすかに震えていた後姿を妙に覚えている。

 今思えば日本の中国大陸進出の国策により、大東亜共栄圏実現の戦士として、この神社から郷土の人達の日の丸、のぼり旗と歓呼の声に送られて、生きて祖国の土は踏まない悲壮な気持ちで出陣していった。極寒炎暑の中国大陸を、血と汗と涙で転戦、運よく終戦まで生き残り、やっと家族の待つ故郷の神社に辿り着いた感動に、しばし立ちつくしていたのであろう。今までは現役の軍人の鉄とスピンドル油・帯革と軍靴の匂いに陶酔していたが、今度はボロボロの復員兵の姿に戦争の厳しさを感じ、強烈な印象が子供(ごころ)に、その精神構造に何らかの影響をきたし、その後中国大陸に対する関心が深まっていった。

 日本中の子供達が、昭和初期、山中峯太郎の「敵中横断三百里」を読んで感動し、大陸に雄飛する自分の姿を夢に描いた。日清・日露・大東亜戦争を通じて幾多の兵士が海を渡り、また開拓団戦士として家族共々大陸に雄飛し、戦塵に斃れ、終戦の混乱の渦の中で未曾有の悲劇に遭遇し、大陸に埋没していった。

                                       ☆

 昭和53年、日中平和友好条約締結後早々に、私は経済人友好訪中団員として広州・武漢三鎮を訪れた。汽車は広州・武漢三鎮に向かって驀進している。旧満鉄時代の客車で広軌道のゆったりした軟座(1等車)で、はじめて見る南中国の景色を眺めていた。田植えの終わった青い稲田が続き、樹木の少ない丘のような山が連なっていた。点在する部落が迫ってくる。昔見た中国戦線の映画のように土塀をめぐらした城壁、水がいっぱいのクリークに柳の木が植わり、アヒルがのんびりと泳ぎ、子供達が裸ではしゃぎながら魚を捕っていた。今にも八路軍が出てきそうな40年前の風景がそこにあった。

 我々が向かっている同じ道を、昭和13年広東攻略の閣議決定に従い、陸海軍の将兵は決死の覚悟で出陣、バイアス湾に敵前上陸を敢行し、広東進攻作戦の火蓋が切られた。戦闘は苛烈を極め、一路広東市内を目指して、陸路から徒歩部隊が珠江を遡行して、海軍部隊が炎暑の中を進撃していった。

 我々は、平和な時代に扇風機の回った快適な汽車で、市内に向かっている。境遇の有難さを感じ、複雑な気持ちが込み上げてくる中を汽車は広州駅にすべり込んでいった。駅頭に降り立つと、青い空に南方特有の強い日ざしがカッと照りつけ、ロータリーからメインストリートにかけて、日本の終戦直後の銀座のように荷車から自転車、旧式のバスまで種々雑多の車が行きかい、国防色の軍用車が兵士を満載して走っていた。ちょうど日本の昭和20年頃のようであり、まだまだ日本に追いつくには30年位はかかるだろうと感じた。

 その中国が、いまや先進国に追いつき、経済大国として著しい発展を続けている。軍備を増強し、軍事大国として我が国をはじめ台湾・周辺諸国に軍事的脅威を与えている。誠に隔世の感である。

(マチダコーポレーション()代表取締役)

100号 19.10.23 自分の国は自分で守る  谷崎 博志氏 (和歌山県防衛協会会長)

                              自分の国は自分で守る

 参議院選挙が終った後は、ただただ驚きの連続でした。 安倍首相は就任以来大した失点もなく、憲法、教育など戦後レジームからの脱却を唱え、美しい国・日本″への再生に全力をあげてきました。

 他方、民主党の参院選勝利は、党の政策が評価されたわけではなく、タイミング悪く社保庁の杜撰さ″が明るみに出たのと、閣僚たちの馬鹿々々しい失言等で、日常生活に直接関係の深い事柄に関しての国民の反感、いわば敵失の結果だと言う事をよくよく自覚しておかなければなりません。

 また、一部タレント的に名前だけ売れた人の当選も、ある意味では民意の低さを問われるのではないかと思います。

 それにしても、安倍首相の掲げた高い領域でのわが国の将来像、即ち、憲法、防衛、外交、安保、教育等の議論は何処へ行ってしまったのでしょうか。勿論、これらは票にはならなかったのでしょうが、これ等への首相の取組みには大部分の国民は賛同していたと思いますし、今回の選挙で、これ等が否定されたわけでは決してなかった筈です。

 その証拠に、反対を唱えた共産党と社民党は議席を減らしたではないですか。だからこそ惨敗にも拘らず続投を決意されたのではなかったでしょうか。今さら詮無いことながら、安倍内閣は総辞職してしまいました。

 今は日本存亡の危機です。次の衆院選は、安倍首相の掲げた憲法の見直し、教育の根本的改革等、高いレベルでの国の将来を考えての選挙であってほしい。国民も何時までも「年金」や「失言」ではありますまい。

 憲法9条の改正は絶対必要です。「万一、攻められたら助けてください。しかし、貴方が困っても助けられません」。 こんな勝手な憲法のある国を何処の国が守ってくれますか。

 戦後62年間、戦争が無かったのは憲法に「戦争放棄」を唱えてあるからなんて言う人がいますが、「犯罪防止」と書いただけで殺人や強盗がなくなれば警察は必要ありません。やはり、日米安保と自衛隊の力があったからです。

 「従軍慰安婦問題」等を見るにつけ、最近のアメリカは日本をあまり重視していないと思います。「6カ国協議」でも、拉致問題を掲げる日本なんか頭ごなしにされているではないですか。テロ特措法が無くなれば、いよいよ日米関係はおかしくなるでしょう。そもそも、テロ特はアメリカのためというよりも日本の安全と生活の安定のためのものです。

 これからは、どこの国も頼りにしてはいけません。日本の国防は自分たちで考えなければなりません。防衛予算も5兆円なんてケチなこと言わず倍増して、一部の近隣諸国に馬鹿にされないためにも、もっともっと強い自衛隊、いや、国防軍になって貰いましょう。 
 
 (
明光電機()取締役会長)

 99号 19.7.23  心に残しておきたいもの   角間 俊夫 (石川県防衛協会長)


                              心に残しておきたいもの

                              

亡き父のアルバムの第1ページには、3挺の銃に支えられた軍旗の写真が貼ってありました。歩兵第7連隊のその軍旗には、旗の部分が無く周りの房のみが紐の輪のようになっています。明治8年の下賜 (かし)以降、西南の役、日清戦争、そして日露戦争の激しさを物語っています。

3年前、大連に行った折り、旅順の二〇三高地を訪ねました。遠く旅順港を望む山の上に立ち、当時に思いを馳せました。聞けば日本軍は、海の反対側から攻め上がって来たとのこと。鬱蒼と樹木の繁る眼下に向かい合掌を致しました。

金沢に司令部を置く第9師団は、第7連隊を主力として第3軍に属し、乃木将軍の指揮下にありました。盤龍山での攻防戦の後、奉天へ転戦し、ここでも再び激戦の前面に立たされました。

  石川県出身の日露戦争時の戦死者2837名中、この二つの戦いで1866名が戦死されたのです。石川県の兵役適齢男性の7%強に当たります。戦死者の家の玄関には、「遺族の家」という小さな板が貼られ、このプレートは近年まで町屋に残っていたのです。県民は遺族に対して尊敬と慈しみの心で励まし救いの手を差しのべてきました。祖国のために亡くなられた人々への尊敬と感謝の心が失われていく時、間違いなくその国や民族は滅亡に向かっていると思うのは私だけではしょうか。

ところで、「残したい日本の音風景百選」に金沢の「寺町寺院群の鐘」が選ばれました。鐘の音を聞けば大きな寺院が連なる景色が目に浮かびます。「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る」。子供の頃よく歌ったものです。今でも金沢では、時々朝6時と夕方6時に鐘が鳴ります。昔は鐘の音で目を覚まして野良に出かけ、夕方の鐘で家路につきました。知らず知らずのうちに鐘の音で生活が営まれたようです。「山寺の鐘撞く僧は見えねども 四方の里人時を知るなり」。

 石川県防衛協会も設立されて40年余。設立時の「北陸地方を襲った38豪雪を始めとし、累次に亘る災害に際し、献身的な復旧作業に取り組む自衛隊に対し、心底から感謝し、いち早く自衛隊の理解者として、防衛思想の普及並びに自衛隊の健全な発展に寄与する」の信条は、今後も大事に伝えたい。防衛省となった今こそ、自衛隊員を励まし、県民の防衛意識の覚醒を促すべく警鐘を鳴らし、そして国のため亡くなられた人々のご冥福を祈り、鎮魂の鐘を鳴らし続けねばと決意を新たにしております

(カナカン株式会社 代表取締役会長、金沢商工会議所副会長)

98号 19.4.23  帰らんか帰らんか吾が党の小子よ
         これを裁する所以(
ゆえん)を知ろう
  仁科 惠敏氏 (長野県防衛協会会長)


  帰らんか帰らんか吾が党の小子よ これを裁する所以(ゆえん)を知ろう

 
 安倍総理が「美しい国、日本」を標榜して若々しく登場した。憲法改正や教育再生の問題を堂々と正面から掲げて、国民にその是非を問うている。真に頼もしい限りだ。

事の如何を問わず、憲法も教育も、戦後米国の占領統治下の強い干渉を受けて制定されたものであることは確かである。

爾来60年。何が正しくて、何が間違っていたのかを日本人として判断するには十分な時間ではないかと思う。

いたずらに妥協するのではなく、大いに国論を起こし、「忘れたこと」「忘れさられたこと」を明確に正し、我々日本人が戦後ずっと放置してきた「精神の再建」という課題に向けて、戦前の日本が辿ったあの時代の宿命から目をそらせることなく直視すべきだ。

そして、我々の「根っこ」にあるもの、「基軸たるもの」を再発見することで、再び日本という国の歴史的、文明史的活力を取り戻して欲しいと思うのである。

 孔子の「帰去来の辞」が口をついて出た。

「帰らんか帰らんか 吾が党の小子 狂簡にして 斐然として章を成すも これを裁する所以 (ゆえん)を知らず」― 帰ろうよ。さあ帰ろう。わが党の魯に残してきた若者たちはみな大きな夢、大きな志の持主。みごとな美しい模様の布を織り上げてはいるが仕立てるすべは知らないのだ。みんなは私を必要としている。彼等の進むべき道を決めてやらねばならぬ。これを裁するゆえんのものを伝える。―

戦前を知る我々世代が、戦後世代の若い人達にしてやらねばならないこと。それは、60年前の敗戦をきっかけに、明治も江戸も古代までも全否定する奇妙な歴史観を排し、積み重ねられた「戦後の嘘」を再度根本から正し、日本文明の核心を伝えていくことではないだろうか。心知れたる我が同志とともにこの信州からそれを発信していきたいと思う。

97号 19. 1.19 「国を守る」こころ 山下 直家氏 (徳島県防衛協会長)

                                「国を守る」こころ

                              

図らずも一昨(2005)年6月から、徳島県防衛協会の会長を仰せつかることとなった。社会人となって40年余り、金融界の事しか知らない人間に、果たして役目が十分務まるものかどうか甚だ疑問に思いつつも、諸般の情勢からお引き受けすることとなった次第である。

  御存知の方も多いと思うが、徳島はその昔、阿波水軍の根拠地として瀬戸内海に覇を唱えた土地柄である。その地に現在、松茂町と小松島市の二つの海上自衛隊の基地が存在するのも偶然とは言えない。

   更に個人的なことで恐縮ながら、家内の父は旧海軍時代の小松島基地に短期現役将校として勤務したことがある上、祖父も旧海軍軍人であったので、今般小生が、徳島県の防衛協会会長というお役を務めることとなったのも、何かのご縁かも知れないと言う気もしている。

昨秋、偶々ドイツ・スイス両国を訪れる機会を得た。文化的な面で得るところの多い旅であったが、国を守る意識の持ち方という面においても感ずるところがあった。

ドイツでは随所で黒・赤・黄の3色の国旗が掲げられていて、当然のことと思っていたところ、現地のガイドから「こうして公然といたるところで国旗が飾られるようになったのは、6月のワールドカップ大会以降である」との解説を聞いて意外に思った。それ以前は第2次大戦を引き起こしたとのひけ目からか、どうしても国旗に対して一歩引いた、遠慮する雰囲気があったとの話であった。それがワールドカップサッカーで、自国チームを国を挙げて応援する間に、ドイツ国旗を打ち振ることが外国人にも自然に受け入れられていることが分かり、遠慮が消えたと言うことであった。

ドイツにおいて戦後60年間もそうした気持ちが残っていたと言うことは、同じ敗戦国としての日本の立場に照らして感慨深いものがあった。

  一方で、ドイツは第2次世界大戦後夙に軍隊を保有し、NATO軍・国連軍に参加して外国へ派兵もしている。国旗を顕示することを遠慮するといった雰囲気が強かった中で、軍隊がどういう風に位置付けられてきたのか興味をそそられたところであった。

因みにマスコミ論調の中には、ドイツの戦後処理の取り運び方は極めて周到であり、その結果として諸外国との関係修復も順調に進んで来たのではないかとの評価があるようであるが、こうした点も或いは影響しているのかもしれないと感ずる。

スイスでは、これまでもしばしば紹介されている通り、街中・郊外を問わずシェルターが整備されており、正に、国中が要塞とも言える状況を目の当たりにすることが出来た。

  同国を取り巻く国際情勢を考えた場合、今日果たしてそこまでの備えが必要なのかどうか、外部の人間には十分理解しきれないところもあるが、国を守る国民的意志を常に明示的に表すと言う意味では、大変効果的であるとの印象であった。

翻って、最近のわが国を取り巻く国際情勢をみると、改めて言うまでもなく北朝鮮による拉致やミサイル発射・核実験の実施といった懸案の大問題が未解決のままになっているのを始め、韓国・中国など近隣諸国との関係も緊張の度を増している。そういう中にあって予ねて懸案であった防衛庁の「省」への昇格法案が、先般衆議院を通過し、今国会で成立したことは大変心強い展開であると感じているが、同時に「国を守る。自分の城は自分で守る」という気概を、国民が広く且つ強く共有するよう、さらに働きかけていくことが大切であると思っている。 

 (阿波銀行代表取締役会長)

96号 18.10.23 竹島問題と離島防衛 杉谷 雅祥氏 (島根県防衛協会会長)


                                竹島問題と離島防衛


                           

北朝鮮は平成187月、7発の弾道弾ミサイルを、10月には地下核実験を実施しました。事前に通告もなく、極めて理不尽な行為で、国際社会に背を向ける北朝鮮は、ある日突然暴発する可能性を秘めております。

「軍」が暴発すれば、どんな事態が出現するか、杞憂と片付けるわけにはまいりません。

私の住んでいる島根県は日本海に面し、海岸線が長いため、中国からの密入国者にとっては、格好の上陸地となっております。北朝鮮から大量の麻薬が沖合いで投下され、暴力団の手により、国内に持ち込まれたりもしているようです。

いま、全国的に関心を集めている竹島問題とともに、対岸諸国とは常に緊張を強いられる位置関係にあります。竹島は、島根県の行政区に入っており、隠岐島(人口約25千人、本土から約70キロ)から160キロ離れた位置にあります。竹島を中心とした海域は、北上する対馬暖流と南下するリマン寒流がぶつかり、漁業資源の豊富なところで、かってはアシカも生息し、江戸時代から昭和に至るまで、島根、鳥取両県の漁民の貴重な漁場になっていました。

竹島の領有権について紹介しますと、1905年(明治38年)、政府は、島根県の上申に基づいて、閣議において、本島を「竹島」とい命名し、島根県の所管とすることを決定いたしました。国際法上は「無主の地の占有」(所有者のない土地を人より先に占有)による領有権であります。

歴史的にも日本の領土であることは、下條正男先生(島根県竹島問題研究会座長)の著書『竹島は日韓のどちらのものか』の中で明らかにされています。

1951年(昭和26年)サンフラシスコ講和条約が調印され、竹島は日本領土であることが確定しました。しかし韓国はそれを認めず、講和条約画発効する前に竹島をその内側に収め、「李承晩ライン」を引き、領有権を主張いたしました。それ以降、竹島は韓国に不法占拠され、軍隊が駐屯しております。

竹島が韓国に支配されて以降、島根県、鳥取県の漁民が竹島を中心とした12カイリ以内に入ると、韓国の巡視船が接近し、場合によっては威嚇射撃を受けます。かって2百隻以上の漁船3千人以上の漁民が韓国に拉致され、5人が殺害されました。1999年発効の日韓新漁業協定で竹島周辺は、両国が漁場を共同管理する「暫定水域」としましたが、今なお、日本漁船は竹島周辺に近づくことも出来ず、竹島周辺は未だ戦争状態であると言っても過言ではありません。日本政府の弱腰外交の結果であります。

昨17年、島根県議会は「竹島の日」(2月22日)を制定しました。38名の県会議員の中で反対者は3名だけでした。日本国の領土が不法占拠されていることに対する憤りが、党派を超えて結集されたのでした。

竹島問題は、私の学生時代に起こったキューバ危機を思い出させます。1962年10月、ソ連のフルシチョフ首相が、キューバに中距離ミサイル基地の建設を図った冷戦史上最大の危機であります。ケネディ米国大統領は、キューバの海上封鎖を発表、ミサイル基地の撤去を要求しました。アメリカの圧倒的な核戦力と、大統領の「確固たる姿勢」の表明の前に、フルシチョフ首相は、その要求をのまざるを得なかったのであります。

竹島の領有権について日本政府が「確固たる姿勢」を表明することを、私は期待しています。

朝鮮有事の折には、相当数の難民が島根県に上陸することは自明の理であります。これらの難民は武装難民と考えてよいと思います。特に隠岐4島が敵に制圧されたときは、どのような事態になるのか、思うだけでも鳥肌が立ちます。

日本海にある有人離島の中で、自衛隊が駐屯していない島は、隠岐島だけであります。自衛隊の駐屯は、多数の島民の切なる願いであります。

海洋国家”日本”は、全国に多くの島嶼があり、その防衛は大変難しい問題があることは想像できます。我が国の排他的経済水域(EEZ)は447万平方キロメートルあると言われ、世界で6番目の広さです。排他的経済水域とは、沿岸から200カイリの水域で、沿岸国が、生物・非生物資源に対して排他的に権限を行使することが出来ます。まさに島嶼防衛は国益の確保であります。

北朝鮮のミサイルを防ぐために、ミサイル防衛システム(MD)を構築することは喫緊の課題でありますが、離島の防衛もまた、喫緊を要します。 

日本民族の未来永劫に生存し、美しい国土を子孫に残すためには、国防を強くすることは当然の帰結であります。

近い将来、GDP1%を超えて防衛予算を組まなければならない時代が訪れるように思います。     

 (山陰クボタ水道用材株式会社社長)

95号 18. 7.23 演習場を抱えて 萱沼 俊夫氏 (山梨県自衛隊協力会連合会会長)

                                   演習場を抱えて

  わたくしたちのまち、「富士吉田市」は、山梨県の南東部、富士北麓に東を忍野村・山中湖村、西を富士河口湖町・鳴沢村、南を静岡県小山町、北を都留市・西桂町と隣接する高原地帯に位置し、東京都心部からは百キロ圏内にあり、人口5万4千人余りを有する富士北麓の政治・経済・文化の中心都市です。

そんなこのまちには、市内を一望でき、かつ富士山の眺望が一番すばらしいと多くの市民が自負する場所に、戦没者慰霊塔(市民の間では「忠霊塔」と呼ばれ親しまれています。)が建立されています。この場所は市民の憩いの場でもあり、正式名称を「浅間公園」と言いますが、四季折々いろいろな姿でわたくしたちの目を楽しませてくれます。

特に、桜の花が満開を迎える季節には、裾野から広がる雄大な富士山を背景に、桜と五重の塔を写した“日本の象徴的な場所”として、外国の教科書などにも掲載され、また、多くの写真家などにより紹介もされているところです。読者の皆さんも一度や二度はご覧になった記憶がおありのことと思います。

この慰霊塔は、昭和34年に市民有志の寄付により建立され、現在では富士吉田市慰霊塔奉賛会により管理されておりますが、日清・日露戦争から先の大戦までの、富士吉田市戦没者1055柱を奉っております。

このほかにも、市内には富士山の眺望がすばらしい場所が多く所在しており、国土交通省関東地方整備局の選定する「富士見百景」には、「富士山レーダードーム館と富士」、「富士北麓公園」、「浅間公園」、「諏訪の森自然公園(パインズパーク)」、「杓子山」、「富士見孝徳公園」、「堂尾山公園」の7箇所が選定されており、それぞれの場所からの富士山の眺めはまさに絶景です。

富士山の裾野には、その面積4597ヘクタールに及ぶ広大な「北富士演習場」が本市と周辺2村の行政区に存在しており、国の防衛施策の一翼を担っております。

この演習場では、年間282日の実弾射撃訓練などが行われておりますが、訓練の中には、国内の移転先5箇所のうちの一つとして、沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練の分散実施も行われ、沖縄県の過重な負担軽減の一助となっております。また、この演習場では、国内唯一のハイテク機材を使用する「富士訓練センター」が平成12年に開設されております。

このほか、演習場内では現在「イラクにおける自衛隊の人道復興支援活動」により、イラクサマーワで活動中の自衛隊の模擬訓練施設が建設され、派遣される自衛隊員の安全を確保するための訓練が行われております。さらに、隣接する忍野村には「北富士駐屯地」も所在しており、この部隊からも第9次イラク復興支援群として11名の隊員が派遣され、その折には、山梨県自衛隊協力会連合会として、派遣隊員の任務完遂と無事帰還を祈願し、部隊と協力し壮行会を実施いたしました。

この演習場は、富士吉田市の行政面積(12,183ヘクタール)の約3分の1にもおよび、市の発展の阻害要因ともなっております。このため防衛施設庁から、「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」により、補助金や交付金の交付を受け、民生の安定に資するための施策の実施を行っておりますが、先に紹介いたしました富士山レーダードーム館や諏訪の森自然公園等の整備に活用させていただき、市民や富士吉田市訪れる観光客の皆様には大変喜ばれております。

市の開発・発展と国防の一環を担うこととの狭間で苦悩しておりますが、今後も自衛隊の活動に関しましては、できる限りの協力を惜しまず、かつ市勢の伸展に努力してまいりたいと思っております。

自衛隊協力会の立場と市長としての立場のなかで、今回は市長の立場としての所感を述べさせていただきました。

 (富士吉田市長)

94号 18.4.23

静岡歩兵三十四聯隊と板妻三十四普通科連隊

松井 純氏 (静岡県防衛協会会長)  


               静岡歩兵三十四聯隊と板妻三十四普通科連隊

「男の子と生まれ橘の香る駿府の城のあと 両軍神の面影を 偲ぶ此の身に誉れあり」と始まる軍歌があります。この歌は、明治27年(1894)の日清戦争後、静岡に誕生した静岡歩兵第34聯隊の聯隊歌であります。

歌の中にあるように明治29年(1896)に駿府城の本丸・二の丸などを囲む堀、14万17百平方メートル(4万33百坪)を埋めるにあたり、市民2万人が動員されました。天守閣、御殿の紅葉山、本丸土手を壊してその土砂を使い、それでも土砂が余り、安東練兵場の埋め立てに使ったほどで、天守台の大きさが想像されます。翌30年、城内に白壁モルタルの兵舎が作られ、愛知県豊橋から、ひげの聯隊長、高木作蔵大佐が入り、静岡の34聯隊が誕生したのであります。

明治37年(1904)2月10日、日露戦争が始まり、静岡34聯隊は3月26日に第1大隊を先頭に出征しました。その時の聯隊長は関谷銘次郎中佐、大隊長は橘周太少佐でありました。八月末、第2軍だった34聯隊は、1軍・4軍と共に遼陽へ向け進撃、中でも、首山堡陣地の攻撃は激烈で、攻防戦は彼我ともに多大の損害を顧みずに死闘を繰り返し、関谷聯隊長、橘大隊長以下5百人余を失い、全体では5千人の出征者に対し1千百人を超す戦死者を出しました。橘少佐は満38歳で戦死、中佐に特別進級し、海の広瀬武夫中佐と共に、全国民から「軍神」と崇められました(関谷中佐も大佐に名誉進級)。戦いの後、静岡市葵区沓谷に陸軍墓地を設け、戦死者の遺骨を埋葬いたしました。 かつて駿府城内の34聯隊には、関谷聯隊長、橘中佐の銅像がありましたが、昭和19年、戦時下の資源回収で徴収され、関谷聯隊長の銅像台座だけは、静岡市谷津山の慰霊観音像の台座として残っています。

橘中佐の銅像は2体作られていて、1体は中佐の故郷長崎県千々石町に置かれていました。こちらも供出されるところでしたが、地元の住民が夜中に海岸の砂中に埋めて隠したそうです。現在は同町の橘神社の入り口に建っています。

静岡県では、昭和37年、御殿場市の陸軍板妻廠舎に板妻駐屯地が創設された際、県民の多くの要望により旧陸軍歩兵34聯隊の聯隊番号を受け継ぐ事ができました。これにより板妻34連隊は、軍神橘中佐を象徴とする郷土部隊となりました。板妻駐屯地の正門を入ってすぐ正面には、昭和天皇御手植えの大きく立派な松があり、左手には「湧水庵」という名前の隊員クラブがあります。その下に郷土部隊出身者の資料多数が展示された資料館、そして橘中佐の銅像、橘中佐を背負い見取った内田軍曹の碑があります。 毎年8月、歩34のOB会が、遠く長崎県より橘中佐の子孫の方々の臨席を願い、「橘祭」を催し、軍神の慰霊・顕彰行事を盛大に行なっております。

 “遼陽城頭”の軍歌で名高い軍神橘中佐が、静岡歩兵34聯隊の大隊長として、日露戦役首山堡の戦いで壮烈、国に殉じられてから70有余年の歳月が流れました。橘中佐が「軍神」として崇敬されたのは、単に戦場での勇戦敢闘のためだけではなく、その人格が高潔で識見にすぐれ、円満で情愛深く、全生涯を至誠一筋で貫き通した平素の行いが、武人としても、一国民としてもきわめて立派で模範的であったからであります。

中佐の遺徳を永く後世に伝え、かつ自衛隊員の修養研鑽の鑑とするため、多くの方々の熱意と浄財により、郷土部隊ゆかりの第34普通科連隊の所在地、板妻駐屯地内に銅像が再建されました。なおこの銅像には、「日本の象徴である富岳に向かって立つ武人の勇姿を表現したい」との関係者の願いが込められています。

私ども静岡県防衛協会も毎年、主催者として10月に自衛隊員殉職者の慰霊祭を催しております。

縁あって板妻を職場とされた方は、人徳ある橘中佐の遺訓に触れ学び、そして中佐の残された「老婆心」(*)は、軍人だけでなく、今の時代の社会人の心得として留めていただきたいと思います。

今回第9次イラク派遣で小野寺靖1等陸佐が群長で派遣され、活躍しております。私の会社では「サマワから」という題で、隊員手記を載せております。緊張感も和らぎサマワの子供たちの笑顔が励みと書いてあります。小野寺群長の任務完遂は郷土の部隊の誇りです。心より祈念いたします。

 *老婆心・・・人間として立派になるためには、人に真心を尽くすということの「うるさがれるほどの思いやり、心尽くし」が大切です。学問の上に、また、ものごとの修行の場合でも、まあ、これぐらいにしておこうか、というのが一番いけないことで、これでもまだ足りない、もう少しこうやってみては、という心です。 

 (静岡新聞社社長)