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全国防衛協会連合会は,防衛意識の高揚を図り、防衛基盤の育成強化に寄与するとともに、自衛隊の活動をしえん・協力することを目的とする民間の全国組織です。

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会報紹介(海外ぶら〜り)

 このページにおいては、当連合会機関誌「防衛協会会報」の連載記事「海外ぶら〜り」の過去掲載分を紹介しております。(敬称略:全国防衛協会連合会を略)

目次
●123号 25.07.01 イタリア 千葉徳次郎(常任理事)
●122号 25.04.01 ロシア・ウラジオストック 山崎 眞(常任理事)
●121号 25.01.01 トルコ旅行 江口 幸一(千葉県会員)
120号 24.10.01 ハワイ訪問 山西三重子(九州沖縄地区防衛協会女性部長)
●119号 24.07.01 東欧(旧ユーゴ)旅行 廣瀬 紀雄(常任理事)
●118号 24.04.01 インド訪問へ 永岩 俊道(常任理事)
●117号 24.01.01 ロシア訪問 山崎 眞(常任理事)
115号 23.07.01 パラオ 岡崎 欽一(事務局員)
●114号 23.04.01 フランス・ベルギー旅行 谷口 和代(事務局員)
●113号 23.01.01 モロッコ旅行 大越 康弘(常任理事)
●112号 22.10.01 中欧4カ国 廣瀬 紀雄(常任理事)
●111号 22.07.01 米国東部 妹尾 隆(事務局参与)
110号 22.04.01 ミサイル技術(米国) 廣瀬 清一(常任理事)
●109号 22.01.01 米国 山崎 眞(常任理事)
●108号 21.10.10 中国 渡邊 元旦(常任理事)
●107号 21.07.01 イタリア 大越 康弘(常任理事)
●106号 21.04.01 トルコ 廣瀬 紀雄(常任理事)
105号 21.01.01 韓国 廣瀬 清一(常任理事)
●104号 20.10.01 英国・伊国 山崎 眞(常任理事)
●103号 20.07.01 インド旅行記 大越 康弘(常任理事)
●102号 20.04.01 台湾 渡邊 元旦(常任理事)
●101号 20.01.01 オランダ 秋山 一郎氏(元陸将補 前陸自化学学校長 
100号 19.10.23 スペイン 廣瀬 紀雄(常任理事)
●099号 19.07.23 韓国旅行 大串 康夫(常任理事)
●098号 19.04.23 アッゼルバイジャン首都バクーに立ち寄って 山崎 眞(常任理事)

●123号(25.7.1)「イタリア」千葉 徳次郎(常任理事)

 イタリア北部のミラノから南部のローマまでの一週間程度の旅行であったが、異国文化に対する認識を大きく変える機会であった。  
 日本の弥生時代に、ローマでは城壁や競技場等の巨大な石造建築物が構築され、それらの一部は現在も使用されていることに感動すら覚えた。
 地域を支配する民族は興亡の果て現在に至るが、生存と繁栄を守るために構築された城壁・城塞や石畳の街道等の一部は、今なおその機能を果たし、訪れる人々に直接、歴史を感じさせる。
 本来、支配民族の入れ替わりは文化(価値観)の不連続を意味するが、破壊困難(不可能)な石造物は異文化に引き継がれ、歴史の証人となっている。
 四面環海の敷島に自然発生的に成立した日本では、支配民族の入れ替えが無かったが故に、こうした事例がない。対比するとしたら造形物ではなく、台風や地震等の自然の脅威から民族を守り繁栄を支えてきた“敷島に住む民の資質(忍耐、互助、譲り合い、団結、勤勉等)の連続で”であろう。
 しかし残念なことに、東日本大震災時に世界中から称賛された日本人のDNAは、異民族の脅威と戦うという遺伝子が弱い。この啓発が日本防衛協会の大きな役割の一つとも云えよう。

●122号(25.4.1)「ロシア」山崎 眞(常任理事)

 昨年10月、国際会議に出席の11年ぶりにロシア・ウラジオストック市を訪問した。
 ロシアの極東開発については最近いろいろ報道されているが、実際に現地を見てその発展ぶりに大いに驚かされた。ウラジオストック空港から市内に通じる道は、昨年9月に開催されたロシアAPECに間に合わせるために突貫工事で完成させたという長さ10キロメートルのアムール湾大橋を中心に、快適なドライブを楽しめる素晴らしい道路に変貌していた。
 プーチン大統領就任後、ロシアは極東開発に力を入れ、投入した資金は2兆円に及ぶという。開発の遅れた極東とヨーロッパ方面とのバランスを取ることと、エネルギー資源の輸出先を財政問題を抱えるEUから極東へシフトすることがその主な目的である。APECはその中の一つの象徴的な行事であった。市街から高台に登ると、かつては軍港であった金角湾が見渡せる。湾には長さ1900メートルの巨大な斜張橋が掛っていてひと際目を引いた。

 市内には以前には無かったモダンなイタリアンレストランや洒落た土産物店ができていた。かつてのKGB本部ビルの隣には古くからのチョコレート菓子工場があった。ソ連時代、KGB職員は冗談で自分は菓子工場で働いていると言っていたそうである。勿論試食させてもらったが、これはなかなかの美味だった。

(写真準備中)
巨大な金角湾横断橋

●121号(25.1.1)「トルコ旅行」江口 幸一(千葉県会員)

 6月末に3回目のトルコ旅行に参加した。今回の目玉は、東トルコのネムルート山に登ることであった。  
 現地ガイドは、トルコは人種があまりにも混ざり合い、彼は黒髪で茶色の眼であるが兄は金髪で碧眼と兄弟でも目や髪の色が違っており、トルコ人のアイデンティティが失われていると言う。5月にウルムチ・トルファンを訪れたが、ウイグル族は混血していないトルコ系の顔であった。  
 東トルコはクルド人の生活地域である上、シリヤ軍がトルコ空軍機を撃墜した直後のネムルート入りであり、軍による検問が強化され、治安もよりコントロールされていた。ネムルート山はペルシャ文化とヘレニズムの折衷様式の特徴を残した墳墓の古代遺跡であり、チグリス・ユーフラテス川の源流が一望できる。ここは朝日・夕日がきれいな世界遺産であり、強風の中、夕日を堪能した。  
 ネムルート山で会ったトルコ少年は和歌山県串本沖で遭難したオスマン帝国海軍のエルトゥールル号救難について述べており、友好的であった。中国の愛国教育や韓国の竹島教育と大きな違いがあり、歴史教育の方向性を示しているようである。


 アタチュルクとともに

120号(24.10.1)「ハワイ訪問」山西三重子(九・沖地区女性部会長)  

 ハワイの空は青く、白い雲が流れ、肌には風が心地よい。浜辺には人々が群れ蒼い海にはヨットが浮かぶ。
 暑い宮崎から国際ソロプチミストのアメリカ連盟大会に参加した。大会出席もさる事ながら、全国防衛協会のハワイ研修が中止となり、行きたかったパールハーバー訪問を第一にと考えた。
 ゆるやかな丘の上に建つえひめ丸の碑、大輪の白菊の花束を供え黙祷した。遭難事故で若い命を落とした高校生達と、ご遺族の心を思い、何とも言えない悲しみに包まれた。
 メモリアル博物館を見学後、真珠湾の中に建つ白いメモリアルパークへ行った。真珠湾攻撃により沈んだ軍艦が今も見える。戦後70年の今もタンクから少しずつ油が浮いてくる。正面壁には五千名を越す米軍兵士の犠牲者の名前が刻まれ白い花輪が供えられていた。
 戦艦ミズリー号後部には特攻隊による傷がそのまま残っていた。当時の艦長が、燃え尽きた機体と共に特攻隊の若い隊員を丁寧に水葬してくれた話が残っているが、特攻隊員の幼い容貌に、純粋に国を守る一心で、特攻機で殉じた若い隊員の魂に胸を突かれる思いがあった。
 前方舳先の方に廻ると調印式を行った場所があり、上甲板からマッカーサー元帥、海の方からボートに乗って重光葵全権大使が乗船した。大使は隻脚で時間が掛かり、元帥は見下ろして、いったん上甲板に引っ込みしばらくして大使が到着の後、上甲板より降りて来て調印式に臨んだと言う。戦いに敗れた日本と勝った米国を象徴する話があった。  
 現在、米国とは信頼関係にあり、東日本大震災の時には米国は「トモダチ作戦」として真っ先に駆け付け泥水に浸かった仙台空港を一週間で使用可能にした力強い同盟国である。
 翌日、大会の合間にダイヤモンドヘッド、ハナウマベイの蒼い海、裕次郎の別荘とかけめぐり、夜はディナークルーズを楽しんだ。
 平和の影に彼我共に多くの犠牲があった事を忘れてはならない。強い防衛の力があってこそ国は守られていると思った。
 この貴重な体験は自衛隊関係の堀氏、北村氏のお蔭と心から感謝しています。



●119号(24.4.1)「東欧(旧ユーゴ)」廣瀬紀雄 (全国防衛協会常任理事)

 一昨年、東欧(旧ユーゴ)旅行を楽しんだが、スロベニアのポストイナ鍾乳洞、クロアチアのドブロヴニク城は素晴らしかった。  
 印象深かったのはボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル市内戦の傷跡であった。同市は、400年来旧ユーゴの多民族共存を象徴していた町であった。
 しかし1993年、連合を組んでセルビア人勢力に対抗していたボスニア人とクロアチア人両勢力が同士討ちを始め、町は東西に二分され激しい砲撃と他民族の組織的追放が続き、現在でも事実上の分断が続き民族分断と相互不信の象徴となっている。
 内戦の象徴的なものがネレトヴァ渓谷(市内を東西に分断)にかかるスタリ・モスト(古い橋:人種と宗教の架け橋)が破壊されたことであり、人間の絆も無残にも砕かれた。現在、橋は修復されたが、橋元には、「ドント・ホゲット 93年」との標識が置かれてあった。
 我が国が、歴史・伝統・文化や道徳的価値観を共有する民族で構成されていることに安堵した一瞬であった。



●118号(24.4.1)「インド訪問へ」永岩俊道 (全国防衛協会常任理事)

 海外に「ぶらり」と旅に出たことはありませんが、将来、もし余裕ができたら行ってみたいなと思っている場所があります。そこはインドであり、その理由は、現在、インド空軍留学生のホスト・ファミリーの役割を仰せつかっており、彼らとの家族同士の交流がきっかけというわけです。
 その留学生は、インド空軍フィリップ・トーマス大佐といい、空自の幹部高級課程及び統合高級課程に合わせこの一年間留学していました。 彼はインド空軍ミグ29の戦闘機乗りであり、誇り高き教官操縦士です。彼の、礼儀正しく謙虚でそしてまさに軍人らしい凛とした立ち居振る舞いは同期の空自幹部諸官に強烈なインパクトを与えています。  
 インド南部ケーララ出身のキリスト教徒の彼には、インド北部カシミール出身ヒンズー教徒であるインド美人の奥さんと、全国一斉試験で受験戦争真っ最中の高校生の息子さんがいます。昨年、お二人共々日本を訪れてくれて、当方の家族ともども刺激的な異文化交流を交わしました。
 彼曰く、インドの主要な場所を見て回るには少なくとも一か月は必要であり、その際は、インド北部のデリ/アムリットサル、インド東部のガヤ/ダージリン、インド西部のジャイプール/ウダイプール 、そしてインド南部のケーララあたりがお勧めとか。しかし、あの広大なインドに一か月滞在したとて、決して「ぶらり」とした旅になろうはずがありません。ほんとにインド旅行が叶うなら、せいぜい、フィリップ大佐の家族との旧交をゆっくり温めるような「ぶらり」旅にしたいと思っています。
 ちなみに大佐はこの3月をもって卒業し、インド空軍の第一線部隊の任務に復帰することになっていますが、あまりに平和なこの日本で一年間も過ごしたため、彼は「インドの日常的な脅威環境に適応するために、相当のリハビリ期間が必要です」と語っていました。日本がいかに平和かということでもありますが、一方、自衛隊が、そのような脅威環境を見据えて、日々、態勢を整えているだろうかということも、彼の実戦的体質を見てつくづく考えさせられたところです。


●117号(24.1.1)「ロシア訪問」山崎 眞 (全国防衛協会連合会常任理事)

 十年程前になるが、二年連続でロシアのウラジオストックとカムチャッカ半島を訪れたことがある。現役時代に関係を築いたロシア海軍太平洋艦隊司令官の招待によるものだった。
 カムチャッカ半島のペトロパブロフスクは市政二七〇年を誇る歴史のある街である。ここを一歩離れると広大な大自然に面し、富士山より高い活火山が眼前に聳えている。温泉も豊かで、底一面から湯が湧き出てくる水泳プールのような大きな温泉が幾つか軍の保養所にあった。宇宙飛行士や原潜乗組員の健康管理に利用されているということだ。
 ペトロから北へ一時間余りヘリで飛ぶと広大な間歇泉峡がある。沢山の間歇泉から蒸気が噴き出る様は圧巻だ。飛行中は眼下に活火山の火口やエメラルドグリーンに輝く火山湖が見える。原野には熊の群れが蠢いているのもよく見えた。
 ある農村で夕食会を催してくれた。ロシアは歌とウオッカ、それに豪勢な料理が売り物である。ウオッカは一人ひとり口上を述べて皆(女性を除く)で一気飲みをやるのが流儀だ。ロシア滞在中は、朝からウオッカのもてなしを受け常に酔った状態だった。
 帰路、ペトロの軍の飛行場から飛び立つ前、司令官専用機の傍には簡単なテーブルが運ばれその上にはウオッカとつまみが並べられた。見送りに来た地区司令官達とお互い涙ながらに一気飲みを交わして別れを惜しんだ。   

115号(23.7.1)「パラオ」岡崎 欽一(事務局員)           

 パラオが日本の委任統治領だったことを知っている人が少なくなりつつある。 日本人の若い人達はペリリュー島で日米の激戦があったことすら知らない。
 それでも、日本軍の計らいによりパラオ民間人の犠牲者を出さなかったことや、現在も日本が大きな援助をしていることもあり、対日感情は極めて良い。
 日本が委任統治間コロール市に南洋庁を置き、精力的に行った学校や病院、道路などのインフラ整備は今も受け継がれ、教育程度も高いパラオの人々は清潔な町並みに暮らしており、のんびりとした暮らしぶりの多いミクロネシア諸島の中では珍しく(失礼!)勤勉であり、コロール市内のお店では早朝6時には手作りドーナツを並べていた。
 毎年スキューバダイビングのメッカとしてリゾートライフを楽しむ日本人は2万を大きく越え、パラオの観光客の2〜3割を占める。そしてこれは成田からの直行便就航に伴い近年増加する傾向にある。
 一方パラオではフィリッピンからの出稼ぎにより肉体労働が減り、蛋白源が伝統的な魚介類から輸入肉製品中心になったことなどにより、肥満の問題が発生している。
 若い人達にまで肥満が及んでると心配する、JICAから看護師として派遣されている日本の若い娘さんは、パレオを巻き休日を楽しんでいた。
 日の丸に由来すると言われている青地に黄色の丸の国旗を持ち、親日的な人口2万人余のパラオとの親善が長く続くことを祈りたい。
 ちなみに、在日パラオ大使館は、新宿区片町に所在し、全国防衛協会連合会・東京都防衛協会事務局とはお隣さんである。


大日本帝国南洋庁のあった元パラオ最高裁判所

●114号(23.4.1)「フランス・ベルギー旅行」谷口 和代(事務局員)

 1月に初のユーロ圏への旅に出た。  初めに驚いたのはフランスからベルギーにバスで移動した時である。ガイドの「只今国境を越えました」という声で外を見ると、そこには廃墟と化した「検問所」があった。
 バスは止まることなく、まるで東京から横浜に行くように何事もなく通り過ぎている。国と国がこんなにも簡単に行き来できるなんて・・・ユーロ圏は政治と経済を分離し、経済分野のみの統合で国家と類似した制度を作り、統一通貨にまで発展させたようだが、その昔このような環境のせいで戦争を繰り返し、結果考え出された生活の知恵なのだと実感した。
 ベルギーのブルージュは町全体が中世の時代そのままの素敵な町である。まるで不思議の国に行ったアリスの気分であった。
 フランスで印象に残ったのはシテ島にあるマリーアントワネットの牢獄である。前日に豪華なベルサイユ宮殿のキンキラキンに目を奪われたせいか、牢獄の部屋は粗末で、そこに座っている彼女の人形はあまりに哀れである。
 でも、ガイドの説明によると、彼女は「ごめんあそばせ」と言ってギロチン台への階段を上ったらしい。「最後まで毅然として威厳を保っていた」と感じる人もいるだろうが、ガイドによると「彼女がもっと賢かったら歴史は変わっていただろう」と言う事らしい。
 私が思うに、生まれながらのお姫様には贅沢する事もギロチン台に送られる事も、自らの運命に従って来たに過ぎず、深く考えていなかった気がする。
 日本にも母親から毎月1,500万円もお小遣いを貰っていながら「それが何か?」という人がいるがこの人たちはきっと同じ感性なのでは?と思う。
 色々な事を感じながら帰国して真っ先に食べたかったのは羽田空港にある「つるとんたん」の「きつねうどん」だった。美味しかった!日本人で良かったと実感した瞬間であった。

 
   中世の面影を残すブルージュの町        粗末な牢獄で座るマリーアントワネットの人形
                
                キンキラキンのベルサイユ宮殿

●113号(23.1.1)「モロッコ旅行」大越 康弘(常任理事)

 今年1月モロッコにツアーで旅行してきた。モロッコは、地中海の入り口ジブラルタル海峡の南に広がる一時フランス領であったイスラムの国で、イスラム特有の青い模様のタイル壁が美しいモスク、遺跡が都市部で見られる。
 旧市街はメディナといわれて世界遺産になっているところもあり、ベールをかぶった多くの女性も行き交う市場混じりの賑やかな生活地域だ。
 海岸地域は温暖だが、南のサハラ砂漠に行くには東西に広がる3000m級のアトラス山脈が横たわっており、峠を越える際雪に見舞われた時は、ここは本当にアフリカかと疑われた。
 峠をこえた南部の都市エルフードを未だ暗いうち車でひたすら南下すること約1時間、ようやくサハラ砂漠の砂丘にたどり着いた。そこからさらに30分ほど徒歩であるいはラクダに乗って砂丘を進み、そこで日の出を待った。東の砂丘の上から太陽が昇り始めた。綺麗な朝焼け、砂丘の一点から放たれる眩い光線、静寂な広々とした一面の砂丘、この地でしか味わえない感動的なシーンであった。
 そこから西へ、昔はラクダ商隊の通り道でオアシスとカスバ(砦館)が点在するカスバ街道といわれる所を通った。思わず昔「カスバの女」を歌っていた頃を思い出して、しばらく砂漠情緒に浸ってしまった。


サハラ砂漠をラクダで

●112号(22.10.1)「中欧4か国」廣瀬 紀雄(常任理事)

 昨晩秋、中欧4ヶ国の首都ウィーン・ブダペスト・ブラチスラバ・プラハを歴訪し、歴史的に重みのある王宮・城砦・教会・街並みの見学や地域特有の料理を味わうと共に宝物館・美術館・マリオネット劇の観賞を通じて、中欧の歴史・伝統・文化の一端に触れることができた。
 また、各国の英雄のモニュメントを通じて、各国の興亡の厳しい現実を垣間見るとともに、民族の誇りやアイデンティティを失わない努力が窺がわれた。
 旅行間、フリーパスの広大な検問所跡地が印象的で、冷戦終結の契機となった、いわゆる1989年の『汎ヨーロッパ・ピクニック』(東ドイツ国民のオーストリア越境)の舞台となったのは、ハンガリー北西部ショプロンの検問所であった。
 しかしながら、チェコからウィーンへ向かう地方道の国境直前で、検問中の警察官にパスポート提示を求められ、1〜2Km後に、再度、別のパトカーの検問を受けた。検問理由は不明だが、国境を改めて認識した出来事であった。

ハンガリー王国初代国王「イシュトヴァーンT世像」(997-1038)ブダペスト・漁夫の砦)

●111号(22.7.1)「米国東部」妹尾 隆(事務局参与)

 昨年末、米国東部を20年ぶり(3回目)に訪問し、様々の変化を実感した。(率直に言って、正に『隔世の感』でした)
 約30年ぶりのワシントンDCでは、ホワイトハウスの主が初めて黒人に変わり、折から訪米中の印度首相の影響もあってか町では大勢の印度人を見かけた。
 近々、ダレス国際空港〜DC中心への地下鉄延伸計画があるようで、米国の環境問題に対するスタンスの変化を感じた。(その後5月末、実際に日本の車両メーカーが当該地下鉄車両を受注した旨が公表され、米国・オバマ政権が環境・エネルギー問題に真剣に取り組んでいることを改めて確認した)
 ニューヨークでは破壊された世界貿易センタービル(WTC)跡地「グランドゼロ」周辺で急ピッチに進む再開発工事、ゴースト化されたWTCが描かれた絵葉書、「自由の女神」へ渡る乗船前の航空機同様の厳しい検査、未だ閉鎖中の女神王冠部展望台等々、9.11テロの影を強く感じた。他方ニューヨーカーから【9.11テロの嘘】という大変なストーリーの説明を受け、この国の「言論の開放度合い」も再認識出来た。
 以前「危険、決して近づくな!」と言われたハーレム地区は今や観光スポット化し、オバマ大統領も時々訪れるレストランでソウルフードを味わい、深夜遅くまでライブジャズを楽しんだ。まるで、1年少し前のリーマンショックなど無かったかのように盛り上がっているクリスマス商戦・買物客を横目に、アメリカの『変化&復活へのエネルギー』を実感した旅だった。 


 ニューヨークロックフェラーセンター前

110号(22.4.1)「ミサイル技術(米国)廣瀬 清一(常任理事)     

 米国出張先のホテル前 出張でホワイトサンズ・ミサイル射場(ニューメキシコ州)へ行った。テキサス州に隣接し、メキシコとの国境に近い都市エルパソに宿泊。
 ホーク(陸自)やペトリオット(空自)等の対空ミサイル射撃に携わった人にはよく知られた場所であるが、多くの国民は何処にあり、何をしている場所か殆ど知らない。
 米国の軍用ミサイル開発に大きな役割を果たしてきた広大な射場で、徳島県の面積とほぼ同じという。遙か遠方まで続く砂漠地帯であり、果てしなく広い。ホワイトサンズ国立公園を除き、軍関係者以外は立入が制限され、わずかな軍事施設以外は何もない。西部劇に出てくるような荒涼とした光景である。
 ホワイトサンズ射場の管理地域には多くの人々が従事している。ミサイル射撃を管理するレンジ・コントロールセンターには軍人・軍属・技術者等が早朝よりそれぞれの持ち場に就いている。米国の高いミサイル技術を支えている人々であろう。一つの軍事技術を開発し、維持することの難しさ、開発に必要な莫大な経費がよく理解できる場所である。
 日本の国産技術の開発や技術試験、更に射撃練度向上のため、異国の荒野で人知れず黙々と働く日本人の姿や努力を多くの国民にもっと知ってもらいたいと思った。防衛上の高い保全が求められ、それは無理であろうが、これは日本防衛の第一線の一側面であると感じた。
 巨大な軍事力を維持している米国社会には大きな悩みがあることも理解できた。近くにあるフォートブリス基地には、近く機甲部隊の移駐が予定され、基地拡張のため住宅の建設などの工事が進められていたが、イラクの戦場から帰った軍人による様々な事故や事件が多いという。
 この基地は今日まで米国という巨大な国家の礎を支えてきた砦であったろう。今後どのような歴史を辿るのか、軍事力に対する国民の認識が日本と全く異なるこの国では、軍事力は国力そのものであると感じさせる旅であった。


米国出張先のホテル前

●109号(22.1.1)「米国」山崎 眞(常任理事)

国民のモラルと大学の見識
 昨年9月、ミサイル防衛国際会議参加で、2年ぶりにボストンを訪れた。会議は世界各国回り持ちで毎年開催され、20数カ国から約千人が集まる大きな国際会議だ。今回は気候的には最高の時期だったが、気象異変の影響か日中は汗ばむほど暑かった。
 ウオーターフロントにある会議場のホテルに宿泊し、地下鉄をうまく使えば市内の大抵の場所に容易に行ける。おまけに、15jの7デイ・パスというカードを買うと7日間地下鉄・バスに乗り放題。
 会議が始まる前にケンブリッジ地区を訪れ、まずチャールズ川に面したマサチューセッツ工科大学(MIT)の広大なキャンパスを見た。歴史的な建物が多いハーバード大学と違って、近代的なコンクリートの建築物が多い。
 MITからやや上流へ行った所にハーバード大学がある。大学創立当初からあるというハーバードヤードには、1870年に建てられたゴシック風の大きな記念ホールがあり、南北戦争で戦死した卒業生を敬う所である。 また、第1次、第2次大戦で亡くなった卒業生の鎮魂のためのやや新しい記念教会もある。
 私立の大学が、これだけの投資をして国家の為に生命を捧げた卒業生を手厚く敬うところに、米国民のモラルと世界最高レベルを誇る大学の見識の高さを見る思いがした。

写真は「チャールズ川とボストン市街を背にする筆者」

●108号(21.10.10)「中国」渡邊 元旦(常任理事)

5月下旬、オリンピックの余韻を残す北京をはじめ、世界博覧会を控えた上海、約55万人の新市街を建設中(2020年完了予定)の西安、国際企業の誘致に成功した杭州等を訪問、併せて万里の長城などの世界遺産を散策すると共に、「世界の大国」に邁進する中国を垣間見た。  急激な経済発展や車社会化に伴うスモッグの発生等、環境の悪化に悩んでいることや、水資源が貴重なことが感じられた。 中国の国防・安全保障関係者との意見交換では、誤解や猜疑心に基づく質問や意見が散見されたほか、人民の動向に気を使っていることが強く感じられた。 戦略的互恵関係の日本であるが、共産党独裁で「富国強軍」に邁進している中国には相当の覚悟を持って対応していく必要があると思う。特に、近年の海軍力の東シナ海以東への進出や、東シナ海ガス田共同開発と尖閣諸島帰属問題を密接に絡める動きなどは、わが国の主権に係る問題でもあり毅然とした態度で臨むことが緊要であろう。


●107号(21.7.1)「イタリア」大越 康弘(常任理事)

 昨年8月北イタリアのドロミテ地方からスロベニア、そしてクロアチア北部を旅行した。ドロミテ地方では、白褐色の切り立った山々を眺めながら高山植物の花の咲く山麓を散策した後、スロベニアに入った。
 遠く雪をかぶっているように見える白い岩肌のユリアン・アルプス(スロベニア側のアルプス山脈)を眺めながら古城に佇み、次いで眼下の美しいブレッド湖に降りて湖上の小さい教会を舟で訪れた。湖畔をハイキングしたが、さながら中世に戻ったような気分でした。  
 クロアチアに入ってからは、世界遺産の「プリトヴィッツェ国立公園」を巡り歩いた。ここは、中国の九寨溝のように高低差900mの間に大小16個の湖があり、その間の滝や渓流をたどって澄んだ水が流れ落ちる美しい自然公園であった。
 スロベニアもクロアチアもユーゴスラビアの瓦解にともなって独立した国で未だ貧しいものの、落ち着いた、自然豊かな国との印象を持って帰ってきた。


●106号(21.4.1)「トルコ」廣瀬 紀雄(常任理事)

 昨年秋、トルコ各地の名所旧跡を訪れた。印象的だったのはイスタンブールのアヤソフィアで、その用途はキリスト教大聖堂(360年)、イスラム教モスク(1453年)及び博物館(1935年)と変遷し、トルコ歴史の生き証人のようであった。
 また、ギリシャの島嶼(エーゲ海を挟んでトルコ側)が驚くほど近く、ガイドの説明では、1924年建国の際、海軍を持っていなかったためとのことであり、領土問題の厳しい現実を思い起こさせた。
 旅行中、親日的な雰囲気を感じたが、トルコでは明治23年の軍艦「エルトゥールル号事件」(串本沖での遭難)での地元の献身的な救助活動が学校で教えられており、これが日本とトルコの友好関係の起点として記憶されているとのことであった。
 この旅行を通じ、皇室を中心とした日本の歴史伝統文化の継続を誇らしく思うとともに、北方領土及び竹島等の領土問題解決には国防力の背景が必要であること、外国との友好関係には学校における歴史教育が重要であることを実感した。



105号(21.1.1)「韓国」廣瀬 清一(常任理事)            

 韓国軍創建60周年記念行事が昨年10月実施され、見学する機会を得た。
 記念式典は李明博大統領を迎え、ソウルオリンピックの会場となった蚕室(チャムシル)総合運動場で行われた。優秀軍人と功績のあった部隊の表彰式に続き、陸海空の将兵に対し大統領の祝辞があった。
 「先進精鋭軍に生まれ変わろう」と呼びかけ、「強い軍隊、国民の軍隊、世界に堂々たる軍隊になる」ことを要望、軍に対する強い期待と信頼を表明した。更に「今日の韓国の発展にあって軍が大きな役割を果たしている」ことが繰り返し述べられた。
 その後のアトラクションでは「テコンドーやパラシュート降下、編隊飛行」等があり、最後に市中パレードが行われた。
 5年ぶりとなった市街行進では真に軍と国民・市民が一体となっている光景が随所で見られた。
 迫力あるXK2次世代戦車や装甲車、ミサイル等の重車両部隊の行進もあったが、徒歩行進部隊に対する市民の歓声や、空軍部隊の行進が近づくと、若い女学生達が「パルガンマフラー」(赤いマフラー:空軍パイロットの歌)を合唱するなど、和やかさと親しさは軍と国民の近さを象徴するもので、日本人として羨ましいものを感じた。


韓国防衛駐在官の古屋1佐とパレード見学

●104号(20.10.1)「英国・伊國」山崎 眞 (常任理事)

 6月中旬から7月上旬にかけて、防衛装備の調査団を率いて英国と伊国を訪問した。英国は、まだ暑い気候には至っておらず非常に過ごしやすかったが、伊国は大変暑く日中は外に出るのもはばかられるほどであった。  しかし、これも異常気象によるもので、本当はもう少し過ごし易いとのことであった。
 両国でまず驚いたのは物価の高いことである。英国のポンドは約220円、ユーロは約160円であった。英国では、知らぬ間に所持金が底を突いて換金の連続であった。東京の物価が高いことは世界的に有名で神話化しているが、実際はロンドンやローマより東京の方が余程暮らし易いのではないか。
 次は、スリ・かっぱらいの横行である。伊国では、ガイドさんの重要な仕事がスリに対する注意喚起になっている。日本人の無防備さにも大いに原因があるのだが。
 日本と両国を対比して大きな違いを感じるのが、農業施策である。両国とも、広い原野は全て農地として活用されていて、麦、野菜などの農産物が水平線まで一面隙間なく栽培されている。一方、わが国はタダでさえ狭い農地のかなりの部分が荒地になっている。食料の6割以上を輸入に頼っている国にしては危機感に欠けた不真面目な施策と感じざるを得ない。両国の心の豊かさはこういうところにも起源があるように思われる。


エジンバラ城前にて

●103号(20.7.1)「インド旅行」大越 康弘(常任理事)

 昨年12月、インドの仏教、ヒンズー教の遺跡巡りをした。
 エローラは、6世紀から10世紀にかけて開掘された仏教、ヒンズー教、ジャイナ教の34からなる石窟寺院群で、中でもカイラーサナータ寺院は、開口46m、奥行80m、高さ34mで、岩を上からノミで彫った精密な岩石寺院で、人間業とも思えぬ素晴らしさに感嘆した。  
 次に行ったサルナートは、仏陀が悟りを開いて最初に説教をした所。仏陀入滅(紀元前383年)後、インドでは仏教が広まり信仰されていきますが、8、9世紀頃からヒンズー教と結合してインド社会に吸収され、ヒンズー教が大勢となり、それに伴って仏教遺跡も壊されてしまった。当時のものでサルナートに残るのは、仏教を広めたアショーカ王碑だけです。
 仏教はインドに生まれ、セイロン、タイ、中国、日本などへ広まっていったが、発祥地インドでの仏教人口は、現在1%程度に過ぎない。  
 10日間で、インドは田舎の村落から首都デリーまで見聞したが、大都市の一部を除いて貧しく、国としての発展はこれからだ、という印象を強くした。 (元防衛研究所所長)



●102号(20.4.1)「台湾」渡邊 元旦(常任理事)

 昨年11月7〜10日までの4日間、台北市内の「圓山大飯店」を宿として、台湾を旅行し、の高雄地区の仏光寺、花蓮地区のタロコ渓谷、台北地区の龍山寺、忠烈祠、故宮博物館等を訪ねた。
 桃園空港で合流後、(財)交流協会台北事務所を表敬訪問、濱田雄二領事室長から、国交のない中で当協会が「大使館」に準じる仕事をされていることを伺い、ご苦労が偲ばれた。
 高雄行きには「台湾高鐡」を利用、線路と車体は日本製とのこと。花蓮行きは航空便だったが、花蓮空港内の処々に軍用機用の掩体があり、台湾の厳しい一端を垣間見た。
(空港内部は撮影禁止で、高速道路を使用した軍用機離発着訓練も実施とのこと)
 スモッグ(車やバイクの影響か、特に台北は凄い)に悩まされながらの短い日程で、訪問先も限られたが、親日的であり、国力の向上に努力している台湾が引き続き平和裏に発展されるよう祈るとともに、(日本統治時代の名残で、味噌汁や鍋物もある)食事はバラエティーに富み、名所には国民党政府が台湾に総統府を移して以降のものも多く、かつ新旧の歴史が充ち満ちている「イラ・フォルモサ(麗しの島)」台湾を、いつか再び訪れてみたい。



●101号(20.1.1)「オランダ」秋山一郎氏(元陸将補 前陸自化学学校長

 オランダと聞けばまずチューリップと風車とゴッホが頭に浮かびますが、  
長期滞在すると  
@ 世界最初の株式会社である連合オランダ東インド会社(VOC)を設立して17〜18世紀に世界に君臨した誇り、
A 質素ながらも国際貢献・国際援助大国、  
B EU圏内で国際物流のハブ(スキポール空港、ロッテルダム港)を形成、  
C 国際司法裁判所を核として戦争犯罪裁判所を誘致して国際司法界の中心をめざす  等々、小国でありながらEUの中で独自のリーダーシップの主導権を取ろうとする努力に感銘を受けます。
 また、ダッチ・アカウント(わり勘)、ダッチ・トゥリート(ケチなもてなし方)などと悪口を言われますが、その歴史を理解すると「なるほど!郷に入っては郷に従え!」だ、と変に感心してしいます。チョッと長居(合計8年以上)してしまったせいでしょうか?  
(編集者註)日本人初のハーグにある化学兵器禁止機関(OPCW)初代査察局長(1997〜02年)となり、退官後の04年に請われて2度目の就任。現在活躍中。

  
                ホールンの水車前で水を汲む秋山局長

100号(19.10.23)「スペイン」廣瀬 紀雄(常任理事)         

 この6月、家族でスペインを訪れ、ローマ時代の遺構、トレドの旧市街地(西ゴート時代の難攻不落の城塞都市)、コルドバのメスキータ(内部にカトリック教会を有する大モスク)、グラナダのアルハンブラ宮殿(スペイン最後のイスラム国家の遺構)及びセビリヤのカテドラル(内部に4人の国王が担ぐコロンブスの棺)等の世界遺産の観光ができた。  
 このツアーを通じ、ローマの支配、西ゴート族の侵入、イスラム勢力の半島征服、カトリック勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)等々、「激変」としか言いようのないスペインの歴史に触れることができた。                          「断続の連続」が歴史
 ガイドブックに『スペインの歴史は、歴史的連続性とか整合性と全く無縁であり、一言で言えば、「断続の連続」となろうか。それ故に、スペインの歴史は天衣無縫といえる程ダイナミックであり、われわれを瞠目させる壮大なドラマが秘められている』(川成洋氏)とあるように、スペインの魅力を楽しむことができた旅であった。


トレドの旧市街地 
    

●99号(19.7.23)「韓国旅行」大串 康夫(常任理事)

 久しぶりにソウルを訪問した。タイミング良く、朝鮮戦争以来、分断されていた南北鉄道が56年ぶりに連結再開された日(5/17)であり、「民族和合、平和統一」への歴史的な日として、各テレビ局は、早朝から特集番組を報じていた。統一朝鮮の将来や中国・ロシアとの鉄道連結で、ユーラシア大陸横断などの夢を熱っぽく語り、実況放送でも韓国側始発駅(?山)での、盛大な記念式典と見送り祝賀風景が報じられていた。
 韓国の人々の感激ぶりを尋ねると「国家予算の無駄遣い、政治ショー、北が多大な援助を獲得」などと、否定的反応の方が強いのに戸惑ってしまった。
 確かに軍事境界線の重々しいゲートが開かれ、列車が北朝鮮へと進むシーンには誰もが感動したであろうと思ったが、数時間後に、北から戻る列車の通過後に再びゲートが閉まるシーンには厳しい現実を再認識させられた。
 この日、1回限りの鉄道連結ショーであったのである。 (常任理事、元航空総隊司令官)

 ”歴史的な日”臨津江に架かる京釜線鉄橋をバックにする筆者。
     

●98号(19.4.23)「アゼルバイジャン首都バクーに立ち寄って」山崎 眞(常任理事)

 オランダで開催された「弾道ミサイル防衛国際会議」に出席した後、ロンドン経由で南コーカサスの国アゼルバイジャンの首都バクーに立ち寄った。前年開館したばかりの日本大使館に、ロシアでお世話になった初代廣瀬大使を訪ねるためである。
 アゼルバイジャンは、言うまでも無く旧ソ連の国である。同国の首都バクーのキーワードは石油、風の街、ゾロアスター教(拝火教)の聖地、キャラバンサライ(隊商宿)それにキャビアである。近年、映画「007」の舞台にもなった。
 アゼルバイジャンは、かつては世界の石油の半分を産出していた。ノーベル賞のアルフレッド・ノーベルは、19世紀にここの石油で財をなした。今では、当時の油田は枯渇してしまって、カスピ海における海底油田の開発・生産を行っている。 
 バクーは、カスピ海に面し、爽やかな風の吹く美しい街である。昔、シルクロードを行く隊商がここで宿泊し疲れを癒した。土色の拝火教寺院には、至る所に天然ガスの炎が上がっている。この寺院も昔はサライとして使われていた。 バクーのキャビアは絶品である。なんでも、カスピ海のチョウザメは周遊しているそうで、丁度南側のバクーあたりに来たときがキャビアの食べごろだそうである。やや灰色がかった塩分の少ないキャビアは、ジューシーでとても美味しい。資源供給国アゼルバイジャンは、今後、我が国にとって重要な国のひとつに数えられるであろう。